「公徳」の形成例:松井茂による左側通行の習慣の形成
漱石は『吾輩は猫である』では言及していないが、『文芸の哲学的基礎』で左側通行について以下のように書いている。
「世の中は広いものです、広い世の中に一本の木綿糸をわたして、傍目も触らず、その上を御叮嚀にあるいて、そうして、これが世界だと心得るのはすでに気 の毒な話であります。ただ気の毒なだけなら本人さえ我慢すればそれですみますが、こう一本調子に行かれては、大にはたのものが迷惑するような訳になりま す。往来をあるくのでも分ります。いくら巡査が左へ左へと、月給を時間割にしたほどな声を出して、制しても、東西南北へ行く人をことごとく一直線に、同方 向に、同速力に向ける事はできません。広い世界を、広い世界に住む人間が、随意の歩調で、勝手な方角へあるいているとすれば、御互に行き合うとき、突き当 りそうなときは、格別の理由のない限り、両方で路を譲り合わねばならない。四種の理想は皆同等の権利を有して人生をあるいている。あるくのは御随意だが、 権利が同等であるときまったなら、衝突しそうな場合には御互に示談をして、好い加減に折り合をつけなければならない訳です。この折り合をつけるためには、 自分が一人合点で、自分一人の路をあるいていてはできない。つまり向うから来る人、横から来る人も、それぞれ相当の用事もあり、理由もあるんだと認めるだ けに、世間が広くなければなりません。」と。
第二次世界大戦後右側通行になったためピンとこないかもしれないが、戦前は左側通行だったのである。
漱石は「いくら巡査が左へ左へと、月給を時間割にし たほどな声を出して、制しても、東西南北へ行く人をことごとく一直線に、同方向に、同速力に向ける事はできません。」「こう一本調子に行かれては、大には たのものが迷惑する」「向うから来る人、横から来る人も、それぞれ相当の用事もあり、理由もあるんだと認めるだけに、世間が広くなければなりません。」と 述べて、左側通行を批判しているのだ。
この歩行者の左側通行という習慣の形成の発案者が松井茂なのである。
松井茂が一九〇六年に著した『警察の本領』(博文館)によると、徳育とは「教育の 力を以て公私の徳性を涵養する」ことであり、公徳とは「個人の行為又は不行為が公衆に便益を与へるもの」で「互に思ひ遣り」「公衆が相互間に於て謙譲する こと」である。
この公徳に最も関係のあるものに「交通上の公徳」があり、「左側通行」は、「一つの公徳問題として一種の社会教育に関係する性質のもの」な のである。
そして、「公徳と云ふものは、警察に最も関係のあるもの」で、「公徳と警察とは実に密接の関係がある」という。
松井茂が左側通行に思い至ったのは、「我が警察界の恩人 法学博士穂積陳重先生」(『警察協会雑誌』第三〇九号、一九二六年)によると、一九〇〇年(明治三十三)、穂積陳重の主宰する大学出 身者の法令研究会(「法理研究会」)において、「時々日本人も何れかの一方を歩むことが交通整理上必要でないか」との説を耳にしたからであった。
そこで さっそく、当時警視庁第二部長であった松井茂は、警視総監と内務大臣に相談し、警視総監の告諭の形式で左側通行の徹底を図り、「左側を歩くと云ふ習慣をつ くる」ことにしたのである。
松井茂によると、「警視総監は左側通行の告諭を発せらるゝに当り、巡査を殊に緒処に立たしめて良習慣を養成する為に力を用ひたのである。―中略― 又巡査派出所には振仮名にて公衆に向いて、左側通行の旨を掲示して出来る丈の方法を講し」た。
また、左側通行の強制によって、民衆と警察官との衝突が懸念 されたことから、大浦兼武の発案で、通行人が仮に右側を歩いていても、警察官は無言で手で左側を指し、「左、々」と指示するのみにし、万一その指示に従わ ない場合は、「無言の儘眼つきを以て之に警告を与えるに留むべしとの訓示」がだされた。これが功を奏した結果、左側通行が全国に普及徹底することになり、 内務省が「道路取締令」を出し、全国的に左側通行の制度を規定した(『松井茂自傳』)という。
このように警察官の眼差し(監視)によって、「左側を歩くと云ふ習慣」(公徳)がつくられたのである。
「無言の儘眼つきを以て之に警告を与える」こと は、大浦兼武の発案とされているが、これは、タルドの「感化力のある眼のうごきを身に感じたり、逆に他人に投げかけたりしていると、ついには、他人の眼を 意識するだけで、あるいは遠くにいる人びとの注視の的になっていると考えるだけで、影響をうけるようになる」(ガブリエル・タルド『世論と群衆』稲葉三千男訳、未来社、一九六四年)。という理論と一致している。
以上のような左側通行の習慣の形成は、松井茂を象徴する政策であることから、漱石が講演で語った「いくら巡査が左へ左へと、月給を時間割にしたほどな声 を出して、制しても、東西南北へ行く人をことごとく一直線に、同方向に、同速力に向ける事はできません。」という言葉は、松井茂の政策の批判ということになるのである。