終わりのない、"いたみ"の歴史
埼玉県の森林公園駅から車で10分。細い道を抜けると、小さな美術館がある。「原爆の図丸木美術館」だ。
8月6日に原爆投下された広島の惨劇を描いた「原爆の図」が展示されている。作者の丸木位里・丸木俊が何を感じ、何を描いたのか、後世に続く"痛み"・"悼み"の歴史を見た。
「原爆の図」を展示するために
「作品名が美術館の名前に付くのは珍しいんですよ」
学芸員の岡本幸宜さんは、絵について話す前に、まずそう語った。
たしかに、様々な作品を展示することが一般的な美術館で、1つの作品名だけを名前に入れるのは他に類を見ないと感じる。
「原爆の図を展示するために、建物の設計から考え抜かれているんです」と岡本さんは言う。作品「原爆の図」は、大きな屏風に描かれており、全15作にも及ぶ連作絵画だ。14作品を展示するために、天井の高さや建物の奥行きまで思考を凝らしている。(第15部は長崎原爆資料館に所蔵)
「原爆の図」のためにある美術館 だと、名称の由来に納得がいった。
地上は戦禍 かかった虹
第4部「虹」という作品が忘れられない。
落とされた原子爆弾によって地上からきのこ雲が生まれ、"黒い雨"を降らせたという話は学校の授業でも習うことだ。しかし、この絵からは座学では決して感じることのできない心の苦しさを感じた。
地上に積み上げられた死体の山。そこから吊り上げられるかのような人々が中央右に描かれ、右側は青ざめている。そこには"虹"がかかっているのだ。
"虹"と聞くと、明るいイメージを受ける。希望を与え、背中を押す印象だが、この虹からは"皮肉さ"を感じる。
焼けただれた皮膚で水を求める人々に降り注いだ恵みの雨。しかしそれは、大量の放射能を含んだ地獄の雨だ。そんなことも露知らず、「水だ!」と喜ぶ人々の、心境を表した虹なのか、命尽きた人々を天国という明るい世界に誘う虹なのか_______。
または、広島の惨劇に気づきもしていない日本や、敵国アメリカの自由気ままな生活を揶揄しているのではないか。この作品の"虹"を一目見ただけで、あらゆる角度からのメッセージを感じる。
修復すすむ 伝え続ける大切さ
第1部「幽霊」は、今年7月19日に初の本格修復を終えて展示が再開されたばかりだ。
「幽霊」の展示と入れ替わりで、第2部作品「火」の修復作業が始まっている。
原爆投下から78年。学芸員の岡本さんは
「"いたみ"の歴史に終わりはないのだ」と語った。
この"いたみ"という言葉には、"痛み"と"悼み"の2つの意味が込められていると私は感じる。残された作品や資料をこの目で見、感じた思いをそのまま後世に伝え続けることこそ、同じような悲劇を生まないために出来ることだと思う。