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当時の日記より176@2010 11/30

正常と異常の狭間にいる姫(母)。異常という表現が適切かどうかは分からない。でも他に言葉が見つからない。

看護師がインフルエンザの注射をしにやって来たところ、イケメンが「僕がやる」といって寸前で交代したと姫が私に電話で報告する。しかも打つ前に

「インフルエンザは他の注射よりも痛い。僕もほかの先生から打ってもらったけど、ものすごく痛かった。3日は腫れます。イヤだったら止めていいですよ、それでも打ちますか?」

と聞いてきたそうだ。

「インフルエンザが痛いことはよく知っています。大丈夫ですよ」

と答えてやってもらったら痛くなくて腫れもしなかったと。

「ふーん。インフルが痛いって何だろう」

と呟いた私にいつも通り激怒。

「卯月は物を知らないから本当に困るわ。私は毎年きちんと受けているから知っているの!インフルエンザが痛いなんて有名な話じゃないのっ!卯月みたいに受けたり受けなかったりするような人とは違うのよっそれにインフルじゃなくてインフルエンザよっ!」

「あー、そうだったそうだった」

で話を終えた。早く電話切りたかったし。

病院へ着くと、さっきの怒りをまだひきずっているらしく

「佐藤君が来たわよっ!」

と怒っている。

「誰?」

「佐藤君じゃないのっ昔から私の担当のっ!」

「あぁ、斎藤くんね」

「そうよっ間違ったのよっ」

威張るんじゃねぇ。

「私を心配してきてくれたのよ。姫、インフルエンザ打ったんだって?大丈夫?インフルエンザってものすごく痛くて腫れるんだよね。僕も痛くて痛くて大変だったよって」

「そんなに大変なんだインフル」

「インフルエンザよっ」

なんだよ、何処が怒りのポイントだよ。

願ってどうにかなる問題ではない。そんなこと分かっているけれど、私は願う。どうか頭の病気にかかりませんようにって。父の時も姫もどれだけひどいことを言い放つのかよく知っている。それを受け止める家族が何人かいるならまだ辛さは分散したり共有したり出来るのだろう。私は一人だ。一人で両親の暴言をひたすら受け止めてきた。なんで私なの?なんで私がたった独りでここまでやらなきゃならないの?

この後姫は翌12月1日に退院しました。ここでお断りさせて頂きたいことが一つ。2010年12月の日記を紛失しているのです。一番大変だった月なので怒り狂って捨ててしまったのかもしれません。手元にあるのは当時の手帳だけ。それによると

2010年12月1日退院。

2日。訪看さん、ケアマネ、訪問医の来訪。

3日。ケアマネ、訪看さん、ヘルパーさんの来訪。

6日。訪看さん。

7日。ヘルパーさん、お昼と夕食と2回来訪。ケアマネ。

8日。訪看さん。

9日。訪問医。

10日。訪看さん、ヘルパーさん。

13日。訪看さん。介護保険利用での介護ベッド到着。説得するまでに大喧嘩。そんなのは病人が使うもの、年寄りが使うものと文句を言いやっと説得してこの日から。

14日。ヘルパーさん、お昼と夕食。

15日。入院。

16日。アリムタ投与。

17日。訪問医の病院に呼ばれて緊急ミーティング。「もう卯月さんは十分やりました。あのお母さんの世話をこれ以上していたらあなたが潰される。末期癌患者でも受け入れ可能な老健施設を探します」と提案。年末が近いこともあり、年明けから動き始めることに。どうやら入院している病院側からも「心配なのはお嬢さんのほうだ」と連絡が入った模様。

25日。退院。

27日。介護認定の調査日だったが朝方呼吸苦を訴え、救急車で病院へ。そのまま入院。たった2日で病院に舞い戻る。胸水をひかれる。

28日。胸水をひかれる。

30日。胸水をひかれる。

2010年はこうして過ぎていきました。そして2011年を迎えます。



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