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#40 夢が叶って
7歳の頃からひたすら願い続けた夢はとうとう現実のものとなり、私は一人暮らしを始めた。週末は必ず自宅に戻りなさい、短大2年間限定ですよ!という母の条件に従う。いや、従うフリをした。もう二度と家に戻る気なんてないのだから。
実家の利用路線の終点は新宿。電車に乗れない母が、新宿まではひとりでも行けるようになった。何しろ浪費家。買い物がしたい一心で、だ。けれどそこまで。乗り換えが出来ない。だから私はあえて新宿で乗り換えが必要な西武線沿いのマンションを選んだ。
最初は約束通り週末ごとにせっせと実家へ戻った。ストレスから解放されたせいか顔を合わせても苛立つことが激減。人生が好転したと一瞬浮かれたが、それは単に私の希望的観測。これから母娘の関係はひたすら険悪の一途を辿ってゆく。
一人暮らしを始めたことで母という人物を冷静に、客観的に見られるようになってきた。私が幼少期に身につけられなかった社会性や協調性、ただ『嫌い』という言葉でしか表現出来なかった母の何がどう嫌いなのかを具体的に示せるようになってきたのだ。そして気づけば気づく程に怒りは増していった。
子供は親を通して社会を知る。生活の知恵を身につけてゆく。些細な日常の疑問は親からかけられた言葉をヒントに子供なりの解決策を探る。コミュニケーションにもなるだろう。けれど母はそれをしなかった。難しい話なら仕方ない。取るに足らないような質問ですら母の答えはいつも同じ「分からないからパパに聞きなさい」
幼心に私が疎ましいんだなと感じるようになり、小学生になると関わるのが面倒だから知らぬ存ぜぬで終わりにしようとするズルい母と認識してゆく。
母の立場から娘に何かを教えるということが一切出来ない人だった。幾らお嬢様育ちであろうと、それくらいは出来るでしょということが本当に身についていない。
例えば洗濯。当時は二層式が主流だったが、使い方を覚えないので我が家では父が洗濯をしていた。その姿が子供心に不憫で『ママが洗濯して』と頼むと『使い方間違ったらどうするのよ。覚えなければ間違えることもないじゃない。そんなにママを責めるなら卯月が覚えてやりなさいよ』と返され、小さな頃から洗濯は私の当番だった。
今でこそ家電は複雑なものになったが、この頃はスイッチ一つで済むシンプルな作りが大半。そして母はスイッチ一つで済むものしか使いこなせない。炊飯器然り、電子レンジ然り。
ところがスイッチ一つの掃除機はダメなのだ。理由は『掃除機は重いから、か弱いママには無理』
何も出来ないこと、何も覚えようとしないその姿勢が家族にどれほどの負担をかけているかを直視しない。出来ない分からないで責任を逃れるズルい母が嫌い。離れて暮らしたところで関係性は何も変わらない現実に気づいてゆくこととなった。