![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/76054868/rectangle_large_type_2_1b25a4fa4c79f825e72146a30ec576d1.png?width=1200)
大人になるのも、悪くない
昔っから、感想文を書くのがものすごく嫌いだった。
小学校の頃、何かの行事がある度に、その次の授業では感想文を書かされた。どこかの偉い人が講演しに来たら感想文。授業で舞台を見に行ったら感想文。遠足に行ったら感想文。芋掘りに行ったら感想文。田植え体験をしたら感想文。社会見学に行ったら感想文。感想文感想文感想文。
嫌で嫌で仕方なかった。楽しかった。感動した。面白かった。それくらいしか書くことないのに。と思いながら嫌々書いていた。
思い返せば保育園の頃、毎週月曜日になると「土日何をしていたのか」というテーマで絵を描かされていた。それも嫌いだった。毎週末になにか特別なイベントがあると思わないで欲しい。どこにも行ってないから何も描くものがないのに、とりあえず家族でお出かけしたような絵を描いた。先生に「お出かけしたの?」と聞かれ、説明するのが面倒だから「行った」ということにした。人生で初めて嘘をついたのはきっとその時だ。
昔から「この経験に対するあなたの感想を表現しなさい」みたいなのが、苦手で苦手で仕方がなかった。
そんなわたしが、今となってはこうして毎日noteを書いている。本を読めば感想を書き、映画を見れば感想を書き、お出かけすればその感想を書く。誰に強制されているわけでもなにのに、自分から進んで書いている。不思議なものだ。
感想文があんなに嫌いだったのに、一体どうしてこうなったんだろう。
それはきっと、かつてのわたしには、感想にはどこか「正解」があると思っていたから。先生が求めている「正解」を書かないといけない。小学生らしい文章を。きっと大人はわたしたち子供にこんな感想を求めているんだろうな、ということを。
「正解」を書けば、求められているであろうことを書けば、その分成績に反映されると思っていた。成績が良ければ、大人が喜ぶと思っていた。
だから「自分が本当に思っていること」よりも「この文章を読んだ大人の視点」を気にして感想文を書いていた。そりゃ楽しいわけがない。
でも、今なら分かる。感想に、自分が思ったことに「正解」も「不正解」もない。本を読んだ感想も、映画を見た感想も、「こう思わないといけない」みたいなものなんて何一つない。その時にわたしが感じたことがたったひとつの「感想」なのであって、それは他の誰にもジャッジされるものではない。
そうやって思えるから、今楽しく毎日毎日書き続けられるんだろうなって思う。
noteの文章にも、正解なんてない。毎日の日記に、たったひとつの正解なんてない。
自由に思ったことや感じたことを書ける場があるだけで、嫌いだったものがこんなにも楽しめるんだと言うことを、わたしは20年近くかけてようやく気付いた。
大人になると、こうした気づきがたくさんある。楽しめることが増える。大人になるって悪くないなって、こういう時に思う。
そんなわけで、今日もおつかれさまでした。
いいなと思ったら応援しよう!
![あやめし](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/8550515/profile_b099ddaa1a1ffe0e5dc8a05594db4b5d.jpg?width=600&crop=1:1,smart)