良く考えてみたら「何も出来ていない」わけがない
「なんか今日、なーんにも出来てないなぁ」
リビングの真ん中で、わたしの膝の上でお昼寝をする娘ちゃんの寝顔を眺めながら、そんなことを思った。
平日の昼間、娘ちゃんがお昼寝中という、色々と作業をする絶好のタイミングで、わたしも一緒にのんびりしているこの状況。本当は、このタイミングでnote書いたり、録りためていたドラマを見たり、動画編集したりすべきなのに、何にもせずにぼんやりしている。
あぁ、そうか。だからわたしは「今日のわたしは何もできていない」という思考になるのか。本当は作業出来る隙間時間があるのに、やりたいと思っていることをやっていない。だから「何も出来ていない」となってしまう。
でも、よく考えてみたらわたしは「今日何も出来ていない」わけではない。
朝から娘ちゃんの予防接種のために病院に連れて行き、電車に乗って市役所まで書類を提出しに行き、図書館に寄って絵本を借り、電車に乗って自宅に帰るまでに遠回りしてスーパーに寄って買い出しをし、お家に帰ってきて娘ちゃんに離乳食を食べさせ、部屋の掃除をし、洗濯物を畳み、自分のお昼ごはんをようやく終わらせたところで娘ちゃんがお昼寝タイムに入ったのだ。
全然何もしていないわけではない。むしろ、このお昼寝ぼんやりタイムの前に、ものすごく動いていたのだ。めちゃくちゃ用事を済ませていたのだ。
それなのに、そんなことは全部脇に置いて「何も出来てないなぁ」なんて思っちゃうのだから、思考の癖はすごいなぁと思う。
結局、30分ほど「何も出来ていないなぁ」とぼんやりした後、娘ちゃん用の軟飯を炊き、離乳食のストックを作った。お昼寝が終了した後は、娘ちゃんを抱っこして近所のドラッグストアに日用品を買いに行き、午前中とは別のスーパーで食材の調達をした。帰宅してから絵本を読み、夕飯の準備に取り掛かった。
振り返ってみれば、今日のわたし、なんかめちゃくちゃ動いていた。ちゃんとしっかり生活していた。
生活とは別のところでやりたいと思っていた個人的なことは出来なかったけれど、それでも今日やるべきことはちゃんと全部やり切った。だからえらい。
なんだか自分に厳しすぎるところがあるような気がするなぁということに、今日を振り返ってみてふと気が付いた。もうちょっと甘めに自分のことを見てあげて、「今日もがんばったね、えらいね」と褒めてあげても良いような気がした。
そんなわけで、今日もおつかれさまでした。