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何でも多ければいいってもんじゃないから

関わる人を変えることや、色んなしがらみから脱却するには、住む環境を変えるというのが劇的に効果的なんだなってことを、この1年くらいですごく実感している。

社会人になって上京した頃、見知らぬ土地で1人ぼっちよりも、多くの協力者がいた方がいいかなと思って、とにかく色んなところに顔を出した。そのおかげで知り合いはぐんぐん増えたし、どの場所で終電を無くしたとしても、泊めてくれる友人宅も多く、とても便利ではあった。

人脈は広ければ広いほど良いと思っていたし、何かあった時に繋がれる人が多ければ多いほど、人生の難易度は下がると思っていた。

だけど、実際のところは、ものすごく大変だった。

なんとなく付き合いで参加する飲み会やイベント。特に予定があるわけではないから断るのもなんだか気が引けてとりあえず行ってみたあれこれ。

今思い返せば、そんな予定で休日が埋まってしまっていて、自分自身がゆっくりする時間なんて、これっぽっちも無かったような気がする。

都会に住んでいると、色んな人に出会う。たくさんのイベントが乱立しているし、たいして興味を持っていなくたって、色んなものに触れることができる。

全くの専門外の分野のイベントにふと参加した時に刺激を受けて、その後に繋がる、みたいなことだってそりゃ無きにしも非ずだから、それが一概にダメだとは言えないなとは思う。だけど、興味のないイベントに毎回足を運ぶほど、きっと自分は暇じゃない。

だから、東京を離れて大阪に戻ってきた時、なんだかすごくほっとした自分がいた。

「会おうよ」ですぐに会うことが出来ない距離ということは、自分にとって不要だけど断りづらかったお誘いを全てなかったことにできる。それは自分にとってすごく楽なことだった。
簡単に会えない距離に自分が移動したから、必然と付き合う人たちも変わった。これまでもこれからもずっと連絡を取り続けたい、会いたいって思えるような人たちは、自分がどこに住んでいようと、相手がどこに住んでいようと、時間をかけてもお金をかけても会おうと思える。
でも、そうじゃない人たちと簡単に会えない距離にいるってことが、こんなにも心に平安をもたらすとは思ってもいなかった。

どこにでもすぐにアクセスできて、たくさんのイベントにハードル低く参加出来て、刺激がたくさんな都会の生活も楽しかったけれど、今のわたしにはもうそこまでは必要ないかなぁと思う。
人生の中でそういう期間を経験できたことは、すごく学びになったなって思うし、良かったなって思うけれど、経験したからこそ、自分には必要なかったんだなってことも実感できた。

何でも多ければいいってもんじゃない。

自分が大事にしたいものを、ちゃんと大事にできる距離感を、自分自身が把握しておかなきゃいけないな、なんてことを最近よく考えてる。

 

そんなわけで、今日もおつかれさまでした。

 


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