『透明な力』/合気の佐川幸義 先生
《不世出な武術家》空前絶後、
95歳まで生きて鍛錬・稽古し続けた、
合気の佐川先生の言葉を教えていただいたのです。
備忘録、抜粋メモです。
『人生』にも通ずるものがありました。
『透明な力』…、なにかはわかりませんが、
あるのでしょうね。
よく昔から世では
「有名になりたい」「成功したい」
とは聞きますが
「なんの?ナニで?」が問われますね
「やってることで語る」
「やってもわからないのに、やってないならわかるわけがない」
ーーーーーーーーーー(以下、抜粋)
・体は出来るだけ鍛えねばならない。鍛えれば力が付く。その力を相手に対する時に使うのではない。力を抜かなければ合気の技は使えない。
だが、力を抜いて相手に対する為には、体を鍛えておかねばならないのだ。
・合気がわかってからもなんとか強くなろうとバーベルやったり鉄下駄はいたりして鍛えていたから一時はボディビルをやっている人のように逆三角形のすごい筋肉がついてしまった。
しかしさんざんやってみてそんなことは殆ど役に立たない事に気がつき、鍛え方を変えていった。
・技でやるから身体を鍛える必要がないと考えるのは素人だ。何も分かっていない。本当は身体を鍛えないと技もできるようにはならない。
・軽くやって相手に響くようにするのが鍛えるということだ。全力でやらなければならないのは鍛えていない証拠だ。もっとも合気の技をあまり知らないうちに鍛えすぎてもよくない。合気のところを強くする鍛え方で、普通の鍛え方とは違う。
私は毎日24通りもの鍛錬を続けている。いろいろやって、それを長年続けてみて初めていろいろな効果がわかってくる。
・考え方がまるで違うから頭を使わなければならない。頭の悪い人は絶対にできない。
それと鍛錬だ。鍛錬している人でも合気を取りにくいのに、鍛錬していないものが分かるはずがない。
・合気は技術であるから年とともに上手くなっていくが、時間もかかるのです。本当に合気ができるようになるためには、血のにじむような死に物狂いの修行がいる。
・稽古だってただ繰り返していたって何にもならない。心が目的を持って働くときに変わる。「絶対に強くなる」という気持ちがなければダメだ。人並み以上になるということは大変なことだ。武術の修行は厳しいものだ。楽してやろうとか、遊びみたいなつもりでいたってダメだよ。
・うまくいかないから稽古するのであって、技が効かないなんていうのは恥でもなんでもない。出来なくてもやっているうちに少しずつ出来るようになってくる。やることが大切だ。
・相手が強いからできないのではない。自分の修業、研究が足らないからできないのだ。下手だからできないのだ。なんでもほかに転嫁してはいけない。とにかく頼る気持ちはダメだ。いくらやってもモノにはならない。
・いくら精神が大事で死ぬ覚悟が出来たって技ができなければ殺されてしまうだけで、精神だけでは何もできない。だいたい技ができない人に限って精神、精神と言うようになる。技が本当にできない武道はその不安を精神ということを強調することによって補おうとしている。だから、気とか言ってごまかすようになる。
・合気は理が分かって何十年かの鍛錬をすれば誰でも出来るのであって気とか精神的なものではない。
・考え続けていることが大事だ。考え続けているとふっと新しい考えが浮かんだりする。新しい考えが浮かんだらすぐに書いておいて試してみる。強くならないのは結局考えていないからだ。稽古と稽古の間ですっかり忘れているでしょ。生活と一体になっていなければいけない。
・どんな段階に達してもこれで完成ということはないのだ。毎日の努力、研究、訓練で少しずつ変わっていく。
・人間は生きている限り変わることができるのです。生きているということは、そういうことでしょう。
・いくら教えても習っただけのものはすぐ忘れてしまう。しかし自得したものは、決して忘れず自分のものとなる。要するに教えるということはヒントを与えるにすぎない。自得しなくてはならない。特に合気は一種の内部感覚で自得しなければならない。
・心臓がけいれんすることもあるが構わずやってしまう。自分の身体を心配したらもう駄目だね。
・なんとしてもやってしまうという強い精神力が必要で、それが一番大事なのだ。やりとげてしまうのだ!
・明日でいいと思うからいつまでも出来ないんだ。稽古が足りないよ。
・特訓なんて何にもならない。毎日毎日一生鍛え続けるのだ。それが修行というものだ。
🙏🙇♂️精進します