食べることが「辛」じゃなくて「幸」になるためには
誰かに作ってもらったごはんは美味しい。
結婚して母親にもなって、毎日自分以外の人にごはんを用意する立場になって、なおのことそう思う。
朝ごはんが終わってすぐに「昼ごはんをどうしよう」と呟いた母を、ジロリと睨んだ思春期の自分をとっちめたい。
ごはんを出してもらうってなー、当たり前じゃないんだぞ!心して、いただくんだ!
話が逸れた。
食べることは生きること、とよく言うけど、その「食べること」を生活の真ん中に置いてから他のことを組み立ててる人って、どれくらいいるのかな。
それこそ、禅宗の典座さんのように。
うー、典座さんのように日々を送れたら、さぞ自分に素晴らしい世界が広がるだろうなと思うのだけど。
素朴な疑問なのだが、典座さんたちの生活費は、どこからやってくるのだろうか。自給自足?
『自分の能力で、対価を得たい』
私にはこの思いが、すごくすごく強いようだから、ま、それは別で掘り下げるとして。
食べる、という日々の「しごと」を修行の域にまで高めることができぬ私は、あぁ時間が来ちゃった、とバタバタ慌ただしく、一日の合間に「ごはん」を差し込んでは、疲れている。
これは、そんな私がひとりの料理家と出会い、「食べること」の舵を再び握り直しつつある、という話。
だれか私を思って…!
昔、日清製粉マ・マーの「わたし思いのシリーズ」という広告に、すごく共感したことがある。まりげさんがイラストを描いてて、とても良かったのに、今探したら出てこない…Why?
夕方、こんな思いにかられたことのあるお母さんはたくさんいるのではないだろうか。
まさに、「あぁ、だれか、わたしを思って…!」
お迎え行って、スーパー行って、ついつい色々買っちゃって。どうして牛乳と大根(1本でね)とカボチャを、同時に買っちゃったんだろう…!と悔やむ玄関前。
(家族のよろこぶ顔が、見たかったんだよね)
(子どもたち、健康に育ってほしいんだよね)
(ネットスーパー、やってみたけど合わなかったんだよね)
男子の性(さが)で、そこにドアノブがあったらガチャりたいのは、頭では分かる。でも誰もいないのに、早くカギを差し込みたいのに、ガチャガチャされるとキィッ!!てなるのよ。
ぐちゃぐちゃよ、ぐちゃぐちゃ。
この状態で華麗にごはん作れる人がいたら、ぜひ私に伝授しておくれ…
テレビつけたらいいじゃん、という人は、テレビ見せっ放しになるときのモヤモヤを吹き飛ばす、何ぞパワーワードをくれないか。
そんな私がアクセスした料理家が、ごやちゃんだ。
ごやちゃんは、さまざまな所でお料理教室を開催しているのだが、私はどうしても個人向けをお願いしたかった。彼女は「方法」じゃなくて『基本のあり方』を『整えてくれる』人だ、という直感があったから。
彼女は最初に私の話をじっくりと聴いてくれて、そのぐちゃぐちゃを整理した上で、提案してくれたのだった。
時間を味方につけるということ
調理を先取りできる、ほんのひと手間。放っておく(置いておく)間にも、味がしみこんで食材を美味しくしてくれること。
大変になるのは、あわてて買い物に行ったり、ゼロから作り始めているからだって、頭では分かるんだけど、もう、どうしたらいいかが分からなくて。
でもごやちゃんが私に教えてくれたことは、基本のあり方に基づいた、「え?これで終わり?」という、ほんのひと手間。それが、翌日にも、○○も○○もあるから、あと切るだけだ、焼くだけだ、となるわけで。
「何も無い」から「あれもこれも、あるね」へのパラダイムシフトが起こったのだった。冷蔵庫を開けて並ぶ食材が、自分のことを待っていてくれたようで、可愛さを感じるよ。
家族の反応も、とても良くて。
長男(当時7歳)は、最後に自分で調味するのが気に入ったらしく、何度もおかわりして塩をつまみたがったし、後から帰宅した夫にも、うれしそうにレクチャーしていた。次男(当時1歳)も、皆がよく食べると、普段は口にしたがらない食材も、まず手づかみして口に入れていたし。
ひと通りごはんを食べさせることが出来たら、なぜか一日が無事終わった、と心から思う(そして、後片付けは夫に丸投げとなる…)
夫が普段から言う「無理しないでね」は本当に本心だろうが、ごはんが楽しかったらそれは嬉しいのだと思う。塩豆腐などの一品が、ビールに合うと喜んでいた。
料理の負担を減らして、食卓に笑顔を。
彼女とは、私が起業を決心した『なりわいづくり講座』の受講生同士でもあるのだが、業種が違えど根っこが同じだと、深いところで悩みをすくいとって提案をしてもらえるなぁ、という実感がある。
時短で簡単だからいいんじゃないの。大切なのは…
今ごやちゃんは、オンラインという新しいカタチで、料理のあり方を教えてくれている。
「調理でリフレッシュ、ちゃんと食べて午後に元気をチャージ」
本当に、お昼休みの時間内にできちゃうの。サクッとできて、美味しく食べて。サッとお別れして、午後に疲れも残さず。
それがすごく良くて、すごく楽しかったので、リピートしている。
(次は、ちょうど来週の水曜日だ…✨)
ここで、すごく重要な事。彼女は「時短料理の人」じゃないということ。
簡単で、時間をかけずに食事の用意ができるのは、誰だって嬉しいと思う。だけど彼女が伝えたいのは、『なんのために』という本質の部分があってこその、疲れないやり方がある、ということなのだと思う。
彼女の料理教室のコンセプトは、「未来を作る料理教室」。
まずは目の前の「明日」を作り、明日を変える。
そこから、
毎日、今この30分の調理を手早く!という足元から、
明日に向けて視線をちょっと上げて、変わる行動をしていく、
それを日々積み重ねることで、未来が変わっていく。
飛行機というより、毎日歩いて踏みしめていく靴のような存在でありたい、と彼女は言う。
す…素敵じゃない?
こんなごはんが毎日つくれたら、どんなに素晴らしいことだろう。
あなたにとって食べることは、何ですか?
彼女と、食べることについて話す機会があったのだけど、私は、自分にとっての食事とは、と問われたとき、『からだを通過するもの』と身も蓋もない言葉しか浮かばなかった。
身も蓋もなかったので、そのあと、もう一度考え直してみた。そこで浮かんできたのは、ミツカンのスローガン、
やがて、命にかわるもの。
これが私の思っていることそのものだ、と思っている。
今日の自分に送るエール(朝)、
今日の疲れを労る…何だろう(夜)、
明日、明後日、一年後、その先を作るもの。
果てしない(…という言葉を選ぶと、なんか疲れてくるような気がするのはなんでだろう)、いわば悠久の積み重ね。なのに何故か大事度を低く見積もってしまいがち。
彼女のような人と出会って、あり方の整え、考え方のテコ入れができたら、そのランキングも変わってくると思う。
子どもや病気など、何かをきっかけに食事を見直すときがきたら。それは、未来につながっている。