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できるだけ遠くから
最近仕事をしていて、いつも頭の中にある
イメージがあります。
昔、子供と砂場で砂山を作り、真ん中に木の棒を立てました。
順番に自分の出前から手を伸ばし、砂山を少しずつ掬い取り、真ん中に立てた木の棒を先に倒した方が負けというゲームです。
少しずつ遠くから核心に近づくアプローチ。
仕事の上では棒が倒れる瞬間をいつでも心待ちにしています。
元々、私は仕事において成果を早急に求めるタイプでした。
なんなら、砂山に立てた棒を一気に抜き取るような乱暴さもありました。
自分のモチベーションを優先して、目の前の人を見ていなかったのだと今になって気付きました。
私が苦手な女性のご利用者がいました。
Kさんと呼ぶことにします。
どこが苦手かというと、常に自分が1番でないと気に入らないという姿勢が揺らがないところです。
Kさんは、新人職員が入るとその日に名前を覚え、必ず職員は名前で呼びます。
自分の生活のルーティンを時間通りに行うことに固執しますが、言葉がはっきりしないために、なかなかコミュニケーションが成立しません。
いつもと同じにしているつもりが、納得を得られないこともしばしばで、こうかな?ああかな?と介護を尽くしても、時間ばかりが過ぎていきます。
その間にも、他の人のケアがあります。目を離せない人は沢山います。
何度も足繁く通い最終的に、布団の位置を少し右になんていう些細なことだと気持ちが昂ぶります。それが深夜、自分が一人の時だと
尚更で、朝の申し送りは愚痴大会みたいになるのが常でした。
実は、介護をするスタッフ全員に嫌われていました。
これは、割と珍しいことです。どんな癖のある人も、誰かは苦手でも誰かには得意とされていて、老人ホームというのはそうしてうまく機能しています。
お客様とスタッフという関係性より、人対人が
色濃いのが、福祉の現場の正直な姿だと思います。
全員が嫌いだとどうなるか?
もちろん、みんなプロなのでケアはきちんと行いますが、マイナスな感情が滲み出るのは否めません。
依存心の強い要求を自立支援の言葉で跳ねのけてきたようにも思います。
私が自分のキャリアやモチベーションへのこだわりを手放した頃、急にそのことに対してアプローチをしたくなりました。
なぜ、Kさんはこんなにも嫌われるのか?
改めて、スタッフに確認すると大抵が同じ気持ちでした。
集団生活の場で、自己主張が強く周りの人への思いやりがない。
いつでも、1番忙しい時間にコールを何度も鳴らす。自分でできることをしないで、すぐに職員を呼びつける。
私達は、配慮を強要していました。
私達が、Kさんへの配慮が欠けているのに。
Kさんは最近、子供の頃の脳性麻痺の後遺症で体の左側への傾きが強くなり、車椅子に座っていると、頭が肘掛けにぶつかるほどに体幹が歪み曲がってきました。徐々に進行するものだと、PT指導で教えられました。
PTは、理学療法士で身体とリハビリの専門家です。
その姿勢を自分でしてみると、かなりきつい
ものでした。
世界の見え方も脇腹の痛みも頭の重さも、してみてはじめて感じるものでした。
身体の曲がりを少しでもゆっくりにするために、頭を支えて食事や歯磨きを手伝い、トイレで立つときには、ここを気をつけようなどと
Kさんのことをピックアップした、関わりと検討を続けました。
私はチームのスタッフに、
「今、こうして関わりを増やすことで私達の
愛情に満たされれば、夜間のコールは必ず減ると思う。」と伝えました。
みんなは、私がこれから進行する病気や身体の変化に対して、ここで出来るだけくいとめようと働きかけていると勘違いをしていました。 はあ?となりました。
私は治らない病気ではなく、満たされない心にアプローチしていこうと言いました。
夜、何度も何度もコールを押すのは
いつでも不安だからです。
頭のいいKさんは、自分が嫌われているのをわかっていたと思います。自分のところには、呼ばなければ職員はこないと思っていたのではないか?そんな風に感じました。
私達は、Kさんを心配している。
いつも見ている。必要な時にはいつでも力を
貸すつもりですよ。という関わりが増えることが、Kさんを変えるのではないかと仮説を立てました。
私達の関わりが増えることで、まず私達が変わりました。
ケアの方法が根付くことで、気づいたことは意見交換し、Kさんへの関心が高まりました。
そして、自分でできるんだからと突き放していた頃より、依存的な様子は控えめになりました。
今、夜間、Kさんがコールを押す回数は格段に減りました。よく眠るようになりました。
夜寝ないから、手がかかるから、お薬を考えましょうか?と安易に考えていた時代もありました。
砂山にさした棒を、さすより早く抜いていた頃です。
できるだけ遠くから、その人をみること。
近くにいては、見落とすことばかりです。
本当に必要なものに辿り着くには、いつだって
挑戦と失敗を繰り返し、思い違いをひっくり返さなければなりません。
Kさんは、今も手強い人に変わりありませんが、もう苦手ではありません。
誰か1人が真剣にアプローチすると、その波動は伝播します。素直で気のいいスタッフが揃っています。
悪口を当たり前に話すことは、できにくい空気になりました。
私達、介護の仕事をするものに正解はなかなか訪れません。
それを不幸と思うか、醍醐味と思うかは人それぞれです。
でも、だからこそ砂山にさした棒が倒れる瞬間はかけがえがないと信じられるのです。
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