【短編小説】私の仕事をあなたに馬鹿にされたくない
「うわ、このご時世にリアルで打ち合わせ?リモートにしないの?」
はいはい、言われると思ったわよ。そのセリフ。
夫はまるで悪気なく言い、(いやたぶん言ったことすら忘れて)テレビを見ながら2本目の缶チューハイをあけた。
午後22時。
彼の前で空になった皿を、私はだまって回収して食洗器にいれる。
いつもなら「ありがとう」と言ってくれるが、今日は言わない。
なぜかわからないが、夫は20時過ぎまで残業をした日は、昔の亭主関白親父ぽくなる。
19時くらいならまだセーフ。帰ってきて3歳と5歳の息子たちの風呂をいれるのを手伝い(風呂いれるだけか、服着させるだけ)私が寝貸し付けをしている間に、皿洗いもしてくれる。
夫は一部上場企業のメーカーのエンジニアとして勤めている。大学も日本の8割の人は知っている国立大学出身。容姿はどちらかと言えば短足ちびでコミカルな顔をしている。でも笑うと目の横に笑い皺ができて、年々深くなるその皺が、彼の外見の中で私が一番好きなところだ。
一方私は、それほど有名ではない私立の女子大の出身で、最初に勤めたのは社員50人以下の地元のフリーペーパーを作ってる印刷会社だった。それから街コンで彼に会い、運よく結婚出来て、妊娠と同時に退職した。
でも何かやりたくて、子育ての傍ら地域のお店紹介をするブログを始めた。そのブログが案外、地元で読まれるメディアとなり下の子が1才を迎えたころから、細々とフリーライターとして働きだした。
元いた会社からの依頼や紹介で始まり、いまではなんとか新卒社会人くらいの手取りを毎月いただけるようになった。でもボーナスはない。退職金もない。
おそらく夫は私の仕事を自分の仕事よりレベルが低いと思ってる。素面の時は「フリーでやれるなんてすごい」とか言うけれど、言葉の端々に見え隠れする。「で、俺より稼げる日がくるの?」
しかも今はコロナ禍。私の主なお客さんだったタウン誌の出版社では、広告出稿してくれる飲食店さんがぐっと減ったから、ライターの外注もことごとく打ち切り始めた。
ブログでお世話になってた飲食店の店主も地元の商店街も、いまほんとに苦しんでいる。私は少しでも力になれたらと、無償で宅配サービスやテイクアウトメニューの記事を書いた。
「馬鹿なの? 気持ちはわかるけどタダ働きして自分の価値さげるだけじゃん。まー、うちは俺もいるし、感染予防だけしっかりして、やりたいことやってもいいけどさ」
私が記事をタダで書いてることを知った時、夫は唖然としたようにそう言った。
馬鹿なんだろうか。少しでも力になりたくて、無料で記事を納品した私の行動は、プロのライターとしてはしてはいけないことだったんだろうか。
……でもたしかに、無料で引き受けたのは、うちは夫の稼ぎもあるので生活に困ることはないというセーフティネットに甘んじた偽善だったのかもしれない。
自分が嫌になった。ちっぽけな虚栄心を満たしていただけなのかもしれない。
明日の打ち合わせは、ちゃんと賃金の発生する仕事だ。地元の工務店が出すお客様向けのフリーペーパー。
世の中はリモートでの仕事が推奨されているけれど、みんながみんな対応できてるわけじゃない。
「リモートで打ち合わせします?」と私が尋ねると、
「うーん、これまでのバックナンバー見てほしいし、家から自転車でこれる距離でしょ? いいんじゃない、きてよ」
そう言われると、断れるわけがない。
ダイニングからソファーに移動した夫が、テレビをバラエティからニュースに変えた。クイズの答えが気になってたのにくそう。
ニュースは連日、コロナウイルスに関することばかりだ。夫の会社は春から夏にかけてテレワークの整備がされ、でも家じゃ捗らないからって週二で出社してる。そして出社した日は、決まって残業で遅くなる。
「どんな産業もニューノーマルに適応していかないと、淘汰されるよな」
しったかぶった夫の発言を聞いた途端、怒りが沸騰した。
握りしめていたふきんを流しに叩きつけた。
安全地帯にいる奴が何をほざく。
関わってきたラーメン屋や居酒屋やバーの経営者たちの暗い表情が頭によぎる。
私はなにもできなかった。なにもできなかった!
のんきに笑ってる夫になにか言ってやりたかった。くしゃくしゃになった皺をそのまま洗濯ばさみで挟んでつるし上げてやろうか。
でもいえない。私だって、偽善者だ。私だって安全地帯から「お手伝い」していただけだ。
なんだか悔しい。悔しくて悔しくて泣きそうになった。
スマホをいじりだした夫を見て、テレビを消した。
不満そうに私を見上げる夫に「もう寝る!」と宣言して、寝室に行くとパソコンに向かった。
この悔しさをかかえたまま書こう。
私はライターだ。書くことが仕事だ。
自分にできることで戦う。知ったかぶりで、お世話になった人たちをスルーするなんてできない。
「私の仕事をあなたに馬鹿にされたくない」
いつかあいつの目の前で、はっきりとそう言ってやるんだ。
終わり