【あべ本#29】駒木明義『安倍vs.プーチン ――日ロ交渉はなぜ行き詰まったのか?』
現実を直視せねばならない
筆者の駒木明義氏は朝日新聞の元モスクワ支局長で、現在は論説委員をおつとめになっています。取材に加え、日露双方の報道ベースに乗った両政府関係者の発言、中でもタイトル通り、「安倍とプーチン」の発言を追いながら、安倍政権の北方領土交渉・平和条約交渉が「いかに先方の意向を汲み取らず(汲み取れず?)ずれにずれて今日に至ってしまったか」を詳述しています。
タイトルに「安倍」も入っていてまごうことなき「あべ本」なのですが、これまた某社の某記者と同じカテゴリーに入れて論じてはいけないんじゃないの、というくらい骨太で濃密、かつ緻密で得るところの多い一冊でありました。みなさん、読むならこういう本ですよ!
北方領土返還交渉を切なく見守っていた保守派の一人としては、本書は真綿で首を絞められるような内容でした。見ないようにしていたものを突き付けられたような気持ちになる人も多かろうと思います。でも現実を直視しなければなりません。
漂っていた「嫌な予感」
個人的には、安倍政権の北方領土交渉は、ある時点から「嫌な予感」しかせず、なぜ保守派の大部分が全く批判しないのか(ほめもしていないので、ほとんど触れていなかったというのが正しい)とわだかまっていました。少し前まで、「四島返還!」が保守の大勢だったはずなのに、いつの間にか「(安倍なら?)二島でも仕方ない」となり、今や「固有の領土」という表現すら消えてなくなる始末。見ないふりしてはいけません。
最も嫌な予感がしたのが、2016年9月の「プーチン大統領が明治天皇即位時に用いた刀が海外流出していたものを安倍にプレゼントした」というニュースでした。
ちょっとソースが見当たらなくなっていますが、この贈り物に対して「もとは日本のものだった刀を『還した』ってことは、プーチンは北方領土を返還する意志がある、というメッセージを込めたんじゃないか」という解説が、当時出回っていたんですね。
えー、そんな簡単にいかないだろ……ポジティブすぎひんか、と思った記憶があります。のちに露朝会談時の以下の画像が流れてきて、絶句したわけですが。
ここから読み取れるメッセージって何ですかね。
「ロシアはツンデレ」と誤解したのは誰か
ずれにずれていく日露の思惑、にもかかわらず、日本側は「外交はすべてを明らかにできませんので」といいながら、ポジティブ情報だけを国民に開陳し、期待させるだけさせてふたを開けてみたら空っぽ!(どころか協力の名のもとに血税を持っていかれた)という状況にあることが、本書でよくわかります。今では信じられませんが(一部ではまだ信じられているかもしれないが)「二島なら返還されるってよ!」みたいな空気もあったんですよね。
安倍支持者の中でも「安倍とプーチンは相性がいい」的な観測が飛び交っていましたが、大いなる勘違いだったようです。というか、相性は大事だけれど、それだけでどうにかできる問題ではない、という当然の結論を突き付けられたというべきでしょうか。
日本側は本当にロシアの意図を理解していないのか。外相をはじめ、かなりの「ツンツンモード」で、もはや日本側を煽っているとしか思えない発言も多い。本書に拾われた公の発言だけを見ても、ロシア側に返還の意志など全くない、と判断するしかない。それでも日本政府が「いける」と思ってきた理由は一体何なのか。もしかして日本がとんでもない勘違い野郎なのか、はたまた「ほら、ロシアさんって、ツンデレだから……僕の前ではデレだから」とでも言うつもりなのでしょうか。
2016年の時点でロシアは北方領土にミサイルを配備し、19年には演習までやっているという「これ以上ないツンキャラ」を演じていますが、それでも日本が「そうはいっても僕に気がある(領土交渉の余地がある)」と思っていた理由は一体何なのか。不思議でなりません。この理由が明らかにされる日が来ることを願うばかりです。
それにしても、相手から意志を持ってソデにされているのは日本の方なのですが、日本側(安倍総理)の発言、ふるまいは無自覚に(どころか、良かれと思ってやりながら)ロシアを不機嫌にさせているという空気の読めなさであったことも、本書には詳述されています。どうしてこうなった……。
再び「今井ちゃん」登場
どうしてこうなったか。ここでも登場する「今井ちゃん」こと今井尚哉氏にも理由がありそうです。前回この欄で取り上げた『官邸官僚』で本人の弁が掲載されており、本書でも引用・検証されていますが、彼は北方領土問題でも壮大なやらかしをかましているようです。
本人の弁は本書か『官邸官僚』でご確認いただきたいですが、専門家を軽視する彼のイキリっぷりたるや、読んでいるこちらが恥ずかしくなるほどです。そしてこみあげてくるのは悲しみで、「外交の安倍」とは一体何だったのか、その実体は今井ちゃんに(結果的に)追い立てられた谷内正太郎氏にあったのか? と思わずにいられません。もちろん谷内氏がパーフェクトヒューマンであるなどというつもりはありませんが、少なくとも餅は餅屋的な見識があったのでしょう。今井ちゃんは「外務省にはアイデアがない」といったそうですが、そのアイデアで突き進んだ結果、アイデア実施前より何キロか後退しているとなったら、その責任は発案者(とそれを承認した責任者)にあるはずです。
いや、もちろんうまくいっていればそんなイキリも「さすが今井ちゃん、天才だなあ」で済むわけですが、対中対露どちらもすっころんでいる現状で、彼が何の責任も負わずに今も官邸内でイキっている、それを総理が許しているとすれば、これはもう官邸内はゆがみ切っているとしか言いようがないわけで。
尖閣や竹島に及ぶ影響
保守の論調の中では、産経新聞が一貫して「四島返還!」と叫び続けており、その姿勢は評価できるものであります。もちろん、全く返ってこないより二島でも先にもらっとこうや、というのも外交戦略としては検討していいのでしょう(いくら保守派が怒ったとしても)。本書でも駒木氏は「(二島でもよしとする1956年宣言を基礎とする)戦略」そのものには「理由がある」と理解を示しています。
最終的には「戦争でとられた領土は戦争で取り返すしかない!」という勇ましくも諦念のこもった訳知り顔の定型句で締められることも多い北方領土に関する言説ですが、「交渉だけでここまで後退させられた」ことに関して、保守派ももう少し真剣に批判検証しないと、こうした影響というものは必ず尖閣・竹島などほかの領土にも及んでくるものと思われます。
そのためにも、プーチンの態度を「ゼロ島返還」と表現するのもやめた方がいいでしょう。「ゼロ島返還」だと、「返還、とあるならゼロからイチには行けるんちゃう?」的なニュアンスを感じ取ることも可能ですが、彼らは返還する気が全くないので、「プーチンは領土絶対渡さないマン」とかの表現にした方がいいでしょう(この表現はともかく…)。
空虚な宣伝に騙されないために
安倍総理は歯の浮くようなラブコールを「ウラジーミル(プーチン)」に送り続けてきましたが、そもそも「ウラジーミル」と呼ぶこと自体が結構失礼なふるまいだったと聞いた時にはもうひっくり返るしかありませんでしたが、とにかく一事が万事こんな感じなんですね。
本書でも交渉の本質を言い表した次のくだりを読んで虚脱症候群になりかけました。
安倍がプーチンを相手に取り組んだ交渉には、一貫した特徴がある。「決意」や「意志」という情緒的な表現を、さも大きな成果であるように強調するのだが、その言葉に具体的な内実が伴っていないということだ。
安倍政権の2016年以降の対ロ外交は、決して前向きに評価できるものではなかった。プーチンの真意を見誤って展望のない交渉にのめりこみ、実質のない合意を成果として国内向けに宣伝し、政府の長年の主張を何の説明もなく一方的に後退させた。
書いているうちにも私自身のHPが削られていく始末ですが、現実を直視するほかありません。全国民必読といいたいところですが、とにかく領土問題に一家言のある保守派は特に読むべき「あべ本」でした。この夏の課題図書ですね。