見出し画像

私って薄情なのかな。。。

気管支炎を患った身体に沁みた、チャイティラテを、先日の束の間の秋晴れに。優しい甘さとスパイスに涙が出そうだった。

どうしても考えてしまう。

なんでもう少し早くSOS出せなかったのだろうとか、
このタイミングで休んだことへの罪悪感とか、
結局自分が原因で休むことになったとか。

何もしないとなると、なおさら、考えてしまう。

8時前には家を出て、20時頃帰宅していた生活をしていたのが
時間の縛りが一切なくなって。
仕事に割いていたエネルギーがなくなって
それはそれで、考えてしまう。

読みたかった本を読もうと開いても、
数行読んでは別のことが頭に浮かぶ。
別のこと…

過去の全てを否定するような、感覚になる

積み重なったストレスの要因や、体調不良続きの身体を考えると、休む他なかったとは思うのだけれど。

しんどくても頑張ったことや、成し遂げたこと、職場の人との思い出、色んな経験を乗り越えて強く逞しくそしてしなやかになった自分を誇らしく思う気持ちは100%本物なのに、

「休む」という事実が、このふた文字が、その過去を全て否定するように感じてしまう私もいる。と気が付いた。

お世話になった人に感謝を伝えたい…

と思っても、目の前にその人がいなければ自分の言葉を自分で伝えられないことにも気が付いた。
だから尚更、やるせないというか、

私って自分勝手で薄情なのかなって思ったりもした。

というのも、私が職場を離れている間に、退職する人がいることは事実で。
「私が戻る頃には、もう〇〇さん、いない…」
と突然事実を突きつけられて、虚しく、悲しく、そして自分に嫌気もさした。

自分をいじめることが、ストレスの膨らみを加速させる

らしいので、自分が薄情に感じても、
仕方ない。そう言い聞かせるしかないのかな。

難しいね。自分の気分一つで、
良いようにもそうでないようにも、捉えることができるからさ。

幸せの黄色いポスト 高千穂峡にて
皆さまに、小さな幸せのお裾分け

お裾分けは、自分にもしてあげよう。

ちょっとの嬉しいや幸せを、いつも以上に過剰に噛み締めてみよう。
過剰くらいでようやく心が反応してくれそうだ。

お風呂に入って一人考えると涙が溢れてくるくらいに、私、弱ってるんだもの。

明日は晴れ間を楽しめますように。
おやすみなさい

Ayako

いいなと思ったら応援しよう!