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《美術史》ラファエル前派

こんにちは。Ayaです。
今日は私が美術にはまったきっかけのラファエル前派とモデルの女性たちについてまとめてみます。前回のヴィンターハルターとは違って、男女間のドロドロ恋愛話ですが、お付き合いください(笑)

ラファエル前派とは

ラファエル前派とは、19世紀中ごろ、ヴィクトリア朝のイギリスで活動した美術家、芸術家のグループです。1848年ロイヤル・アカデミー付属美術学校の学生であった
・ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828~1882)
・ウィリアム・ホフマン・ハント(1827~1910)
・ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829~1896)
の3人により結成されました。彼らは当時の美術界がラファエロ・サンティ(ルネサンス3大巨匠)の絵画の表現にとらわれており、それ以外の表現を認めないことに不満を抱いており、『ラファエロ以前の美術への回帰』を目標にラファエル前派を結成しました。
当初彼らの活動は奇異の目で見られていましたが、評論家ジョン・ラスキン(1819~1900)に評価されるなど実績を上げ、エドワード・バーン=ジョーンズ(1833~1898)やウィリアム・モリス(1834~1896)ら『ラファエル前派第二世代』を生み出すこととなりました。
しかし、彼らは明確な芸術理念を共有していたわけではなく、画風の違いや男女の人間関係の破綻によって、解散してしまいます。今回は男女の人間関係についてまとめたいと思います。

ジョン・エヴァレット・ミレイとジョン・ラスキン

前述のように、ラスキンの評価によって名声を得たミレイでしたが、ラスキンの妻・エフィーと恋に落ち、ついには略奪婚してしまいます。
離婚時エフィーはラスキンとの夫婦関係不成立(のちのエピソードから感じるにラスキンは少女愛者だったかと考えられます)を申し立てますが、パトロンの妻との不倫関係は当時大スキャンダルとなりました。一方、ラスキンはそのままミレイを評価しつづけました。(たまには酷評したこともあったようですが)
エフィーとの結婚後、8人ものこどもに恵まれたこともあり、ミレイはラファエル前派の理想から離れていき、1896年にはロイヤル・アカデミーの会長に選出されます。同年8月死去。





『初めての説教』
ミレイの作品は本稿トップ画の『オフィーリア』が有名であるが、結婚後はファンシー・ピクチャー(かわいらしい子供を描いた作品)で活躍した。モデルは当時5歳の長女で、こののちにも家族をモデルに描いている。

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ

今回の主役(?)です。ロセッティの女性関係がラファエル前派を壊したともいえますし、有名にしている(私のような物好きを惹きつける)と思います。
ロセッティは1828年イタリアのダンテ詩人の子として生まれます。実は弟と妹もラファエル前派の活動に少し関わっていました。(弟は著述家、妹は詩人)父は敬愛するダンテの名前からファーストネームを名付けました。(←超重要なので覚えておいてください)
それではゲスもといクズエピソードをまとめます。

(1)ウィリアム・ホフマン・ハント
ハントは他の仲間たちとは違い、ラファエル前派の特色である”自然に忠実たれ”(byラスキン)を保ったといわれています。
ハントはアン・ミラーという女性をモデルとして見初めます。無教養だったアンを結婚を前提に再教育していましたが、アンはロセッティと男女の関係になってしまいます。
ハントはもちろんこれに怒り、ロセッティと絶縁してしまいます。
※余談※結局ハントは姉妹と結婚(最初に姉、姉の死後妹)しており、当時のイギリス国教会では認められないのでパレスチナで結婚しました。


『良心の目覚め』
女性モデルは前述のアン。男と女は愛人関係で、よからぬことの最中に女が虚しさに回心するという教訓画。一見そのような場面には見えないが、女性のナイトガウン姿、指輪が薬指のみない等で暗示している。アンは結局さらに身分の高い男性と結婚した(女性の逞しさ)

(2)妻リジーの悲劇の死
本稿トップ画『オフィーリア』のモデルはエリザベス・シダル(通称:リジー)という女性でした。彼女も他のモデルたちと同じ中産階級の出身でしたが、淑女のような立ち居振る舞いを身に着け、自身も絵画を制作していました。
ロセッティが若いころから交際していたようですが、10年間も婚約のまま放置され、1860年にやっと結婚しました。しかし、結婚後も夫の不貞行為(前述のアンや後述のジェーン、その他の愛人)に悩まされ、1862年子供を死産。そのショックからアヘンチンキを大量摂取して亡くなってしまいます(当時自殺はご法度なので、事故死とされました)。
ロセッティはその死に衝撃を受け、『ベアタ・ベアトリクス』を描きます。自身の名前の由来であるダンテの運命の女性であるベアトリーチェをリジーに重ねたのです。
しかし、悲しみも時がたつと和らぐのか、リジーの棺に納めた詩を掘り返して発表しようとする暴挙にでます。

『ベアタ・ベアトリクス』
亡妻リジーを偲んで描いた作品。鳥にけしの花を加えさせることで、アヘンチンキを暗示している。本文にも書いたが、永遠の女性ベアトリーチェがロセッティにとってリジーだったのかは疑問が残る。

(3)”ファム・ファタル”(運命の女)・ジェーン
最も有名なのが、ロセッティとジェーン、ウィリアム・モリスとの三角関係でしょう。
ジェーンはもともと馬丁の娘でロセッティのモデルになった女性です。二人は恋人関係にありましたが、ロセッティにはすでにリジーがいたので、自分を慕うウィリアム・モリスと結婚させます。
しかし、断続的にはロセッティとの関係が継続されていました。アンとの違いは夫モリス公認だったこと。この関係はロセッティの死まで続きます。
ロセッティはリジーの墓への暴挙を働いたあと、精神を病み、1882年死去。
ロセッティの死後、ジェーンは違う男性と愛人関係になりますが、この時もモリスは公認しています。
馬丁の娘として生まれ、ロセッティに見初められ、モリスの妻となったジェーン。結婚前に再教育を受け、上流階級の洗練されたエチケットを身に着けたということからも努力家であったことは間違いないでしょう(戯曲『ピグマリオン』のモデルとされています)。しかし、3人の男性を虜にしたことから、”ファム・ファタル”(運命の女)であることは明らかでしょう。
※余談※モリスは同輩のエドワード・バーン=ジョーンズの妻ジョージアナと不倫関係にあり、バーン=ジョーンズはモデルと不倫関係にありました。

『プロセルピナ』
モデルはもちろんジェーン。プロセルピナはギリシア名でいうペルセポネー。ペルセポネーは冥王ハデスに見初められ略奪されるが、ペルセポネーの母デーメーテールは嘆き悲しみ農業の神の職務を放棄してしまう。困ったゼウス(神々の王、ハデスの弟にしてペルセポネーの父)は1年を6か月ずつに分け、ペルセポネーは半分をハデスと、もう半分をデーメーテールと過ごすことにする。この神話はロセッティ、ジェーン、モリスの3人の関係の暗示となっているのだ。


というわけで、ドロドロの男女関係でした。今回取り上げなかっただけで他に愛人がいたりと、どういう倫理観と突っ込みたくなります(笑)
いつか昼ドラにしてほしいなと思ってたら、本国イギリスでドラマ化されていたようです。
印象派と並ぶ象徴主義美術の先駆けとされていますが、前述のように男女関係のもつれで長続きはしなかったです。もし長続きしてたらどうなってたか気になりますが、この男女関係がないとラファエル前派らしくないので…。
小学生にしてこの昼ドラ的男女関係に関心を抱いた私って何?ってことで今回はお開きにしたいと思います。
※余談※印象派も男女関係が…なのでいつかまとめたいな(遠い目)



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