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《世界史》ヒトラーと女性たち

こんにちは。
Ayaです。
今日はヒトラーと彼に関わった女性たちについてです。

ヒトラーの支持者が女性の割合が高かったこともあり、彼自身女性との関係を隠していました。彼と関わった有名な女性たちについてまとめます。

ヒトラー最愛の姪 ゲリ・ラウバル(1908~1931)

ゲリ・ラウバルはヒトラーの異母姉アンゲラ・ヒトラーの長女として1908年生まれます。生後すぐ父親が亡くなり、母が異母弟のヒトラーの世話をするようになります。ヒトラーはゲリを可愛がり、その愛情は叔父姪関係を超えていて、周囲からも異常なものに見えたようです。
ゲリについての評価は人によって違いますが、明るく活発な女性であったことは間違いないようです。ゲリがヒトラーにショッピングに付き合わせることもあったそうです。ゲリもヒトラーを愛していましたが、二人の関係は禁じられたものでした。ゲリは諦め、奔放な生活を送ります。
ゲリの最初の交際相手は親衛隊の隊員でしたが、これを知ったヒトラーは激怒し、この相手を解雇します(のちに再雇用)。このころすでにヒトラーは有名になっており、ゲリを激しく束縛するようになっていました。1939年ゲリはオーストリア人画家と交際しますが、ヒトラーは異母姉アンゲラと協力して、別れさせます。このことに怒ったゲリはヒトラーと口論、ヒトラーは遊説のため立ち去ります。ゲリは怒りが収まらない中、ヒトラーの愛人エヴァ・ブラウンのラブレターを見つけ、破り捨てます。
翌日家政婦がゲリの遺体を発見します。ゲリは胸から血を流しており、自殺とされました。享年23歳。遊説先でゲリの死を知ったヒトラーは駆けつけ、嘆き悲しみました。その嘆き方はあまりにも激しく、側近たちはこのまま政界引退してしまうのではないかと心配したといわれています。結局、ヒトラーは政界引退はしませんでしたが、菜食主義者になったのはゲリの死がきっかけとされています。
後にヒトラーは彼女について、「私の生涯で本当に情熱をかきたてられたのはゲリだけだった」と語ったといわれています。

ヒトラーの姪 ゲリ

帝国のファーストレディー マクダ・ゲッべルス(1901~1945)

最愛の姪ゲリを失い、死の直前まで未婚を通したヒトラー。そのため、ファーストレディーとして支えたのはゲッべルス宣伝相の妻マクダでした。
マクダは1901年建築家の私生児として生まれます。両親は彼女の誕生後結婚しますがすぐに離婚、母は彼女を連れて、ユダヤ人男性と再婚します。母の再婚相手が第一次世界大戦の影響で貧困に陥ったため、マクダは実父の援助で進学します。女子大生の時にはのちにシオニズムの指導者となるハイム・アルロゾロフと交際していました。
1921年実業家のクヴァント氏と結婚、同年に長男ハルラトを出産します。しかし、夫クヴァント氏は忙しく、マクダは夫の連れ子や学生と不倫していました。怒ったクヴァント氏はマクダを追い出します。しかし、マクダは夫の信用を貶める秘密を握り恐喝、1929年財産分与や慰謝料を受け取り離婚します。

ゲッべルスの妻 マクダ

莫大な慰謝料を受け取り自由を謳歌するマクダ。友人に誘われて、ナチ党の集会に参加します。この集会ではヒトラーの演説にも感激しましたが、彼女が心惹かれたのは、同じ頃宣伝部門を任されるようになっていたゲッべルスでした。マクダはすぐにナチ党に入党し、語学能力を買われ、ゲッべルスの個人秘書となります。2人は交際を始め、1931年結婚。
この結婚の立会人をヒトラー自身が務めました。
翌年からマクダは6人の子どもたちを出産、ヒトラーはこの子どもたちを可愛がりました。

休暇中のヒトラーと過ごすゲッべルス一家

ヒトラーが政権を握ると、ファーストレディーとして活動します。しかし、母の再婚相手や元交際相手がユダヤ人であることは秘密にしていました。母の再婚相手は助けを求めましたが、マクダは無視、彼は強制収容所で亡くなりました。元交際相手も暗殺されます。
ゲッべルスとの仲は彼の度重なる浮気で冷え込んでいました。ゲッべルスも一度浮気相手に本気になり、マクダと離婚して日本に大使として送ってくれるよう、ヒトラーに頼みました。ヒトラーはゲッべルスとマクダを説得し、離婚をやめさせ、ゲッべルスの浮気相手は国外追放されました。
そんな状況でも、マクダは『帝国のファーストレディー』として子どもたちとともにプロパンダ映画に出演していたのです。

ゲッべルス一家とマクダの連れ子ハルラト
ハルラトはすでに従軍しており合成。ゲッべルスの子どもたちは全員ヒトラーと同じHから始まるが、偶然らしい。

たった一日だけの妻 エヴァ・ブラウン(1912〜1945)

ファーストレディー役はマクダがつとめていましたが、ヒトラーには長年の愛人がいました。彼女がエヴァ・ブラウンです。
エヴァは1912年教員の家庭に生まれます。幼いときから芸能界やファションに憧れ、成人するとカメラマンのモデル兼助手として働きます。
この勤め先のカメラマンがホフマンで、ヒトラーは演説の練習として彼のスタジオに通っており、エヴァと出会います。出会った日からヒトラーは彼女を気に入り、偽名で交際を始めます。のちにエヴァは偽名であると知りますが、彼女もヒトラーに惹かれていきました。
ゲリが亡くなるまではその他大勢のエヴァでしたが、ゲリが亡くなるとヒトラーが所有する別荘で生活を送ります。この別荘にはヒトラーの異母姉アンゲラも住んでおり、娘ゲリの自殺の遠因となったエヴァを毛嫌いしていました。またヒトラーはエヴァ一筋というわけではなく、他にも交際を噂される女性もいたため、ゲリは嫉妬に苦しめられます。追い詰められたエヴァは二度自殺未遂を起こします。結局ヒトラーはその女性とは別れ、異母姉アンゲラも転居させます。
エヴァの存在は長年隠されていましたが、彼女の妹が親衛隊員と結婚したため、その姉としてナチ社交界に登場します。ナチ高官の妻たちは彼女の存在を認めませんでしたが、エヴァも政治活動に関心はなく、映画鑑賞や写真撮影に興じていました。エヴァはヒトラーを愛しており、「性的満足も得たいなら他の男と付き合え」と言われてもヒトラーのもとを離れませんでした。ヒトラーも側近に「エヴァは私にとって最愛の女性だ。戦争が終わったら、引退してリンツに行き、彼女と結婚する」と語っていました。

ヒトラーとエヴァ

戦局が悪化してくると、ヒトラーや周囲の反対をおしきり、エヴァはベルリンの総統地下壕に向かいます。マクダも子どもたちを連れて、総統地下壕に避難します。総統地下壕ではヒトラーをはじめみな消耗しており、元気だったのはエヴァのみでした。ヒトラーは遺書を書き終えると、エヴァと結婚します。エヴァと出会ってから13年経っていました。結婚式はゲッべルス夫妻を立会人に行われました。結婚式後、人々が『フローライン』と話しかけようとすると、エヴァは「もうフラウ・ヒトラー(ヒトラー夫人)と呼んでくれていいのよ」と笑って答えたといわれています。
翌4月30日、ヒトラーと部屋に籠り、エヴァも自殺します。ヒトラーは拳銃自殺でしたが、エヴァは青酸カリを服毒しての自殺でした。享年33歳。

別荘のヒトラーとエヴァ
ヒトラーは犬好きで、愛犬で青酸カリの効き目を確かめたといわれている。

ヒトラー夫妻を見送ったゲッべルス夫妻。2人もすでに自殺を覚悟しており、6人の子どもたちも道連れにすることを決めていました。前夫クヴァントから引取りの申し出もありましたが、マクダは断りました。何度もプロパガンダ映画に出演し顔を晒してており、子どもたちが戦後の社会を生きていくのは難しいと考えたのでしょう。子どもたちに直接手を下したかは証言が分かれており、はっきりしません。ソ連の検死によると、長女だけは抵抗したようですが、みな眠るように亡くなっていました。
子どもたちの死を見届けた後、ゲッべルス夫妻も自殺。ゲッべルスは享年47歳、マクダは享年43歳。ヒトラー夫妻・ゲッべルス夫妻の遺体は焼却され、戦後ソ連の手で再び掘り返され、遺灰はエルベ川に流されました。

ゲッべルス家の子どもたちの死は悲劇です。しかし、彼らが安らかな死を迎えている間、同じ年頃のヒトラー・ユーゲントの子どもたちが戦闘の最前線で亡くなっていたことを忘れてはいけません。

ヒトラー・ユーゲント
ナチスの青年部隊。ベルリン攻防戦では多くの隊員が命を落とした。

ヒトラーと女性たち、まとめおわりました。彼女たち以外のナチ高官の妻たちを取り上げた本があります。
『ナチの妻たちー第三帝国のファーストレディ』(ジェイムズ・ワイリー著大山晶訳、中央公論新社発行)です。知られていないナチ高官の妻たちについて知ることができました。よかったご覧ください。


次回は最終回!『世紀の贋作事件』です。





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