《美術史》象徴主義
こんにちは。
Ayaです。
今日は『象徴主義』について取り上げます。
象徴主義
昨日取り上げた唯美主義と同じく、当時もてはやされていた物質主義に反発して発生した芸術思想です。唯美主義が美のための美を追求したのに対し、象徴主義は目には見えない人間の内面を描こうとしました。フランスの詩人ジャン・モレアスの定義によるもので、文学ではシャルル・ボードレールの『悪の華』が有名です。絵画の世界ではギュスターヴ・モローが最も有名ですが、彼についてはすでに取り上げているので、彼以外の画家たちを取り上げます。
ジョージ・フレデリック・ワッツ(1817~1904)
ジョージ・フレデリック・ワッツは1817年ロンドンのピアノ職人の家に生まれました。幼少時から才能を発揮し、アカデミーに入学。アカデミー卒業後にはイタリアに旅行して、ミケランジェロやジョットの作品に感銘を受けました。
1864年ワッツは女優エレン・テリーと結婚しました。エレンは1847年生まれなので、30歳年下の相手でした。結婚した同年に彼女をモデルとした作品も発表しましたが、結婚生活はすぐ破綻、彼女は他の男性と駆け落ちしました。ワッツは彼女と離婚後、32歳年下の女性と再婚しています。
当初は唯美主義と歩調を合わせていたワッツでしたが次第に表面的な美ではなく、作品に精神性を求めるようになりました。そんな彼の代表作はなんといっても、『希望』でしょう。
1867年アカデミーの会員に選出された上、活躍しました。長年の功労のためヴィクトリア女王から叙爵の話もありましたが辞退し、ギルフォードに転居。ギルフォードでは自分の作品のみを展示する『ギャラリー』を1904年作りました。このような『個人ギャラリー』は史上初であり、現在でもイギリス唯一のものです。
この『ギャラリー』の完成からまもなくワッツは亡くなりました。享年87歳。
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(1849~1917)
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスは1849年ローマの画家の家に生まれました。幼少時にロンドンに移住、画家の父親から手ほどきを受けました。25歳の時に出品した作品が評価を得て、亡くなるまで毎年出品しています。
彼の作品は神話や伝説に基づくものが多く、代表作は『シャロットの女』でしょう。
『シャロットの女』はアーサー王伝説に出てくる女性です。彼女は塔に閉じ込められており、外の景色を見ると不幸になる呪いがかけられていました。直接外を見ないように取り付けられた鏡を見ながら、一日中織物をしていましたが、こんな日々にうんざりしていました。
そんなある日、塔の前を騎士のランスロットが通りがかります。鏡越しで彼を見て気になった彼女は、窓から覗き込んでしまいます。ランスロットを見た刹那、呪いがかかり、彼に激しい恋心をいだきます。彼女は嵐の中塔から出て、死を覚悟した上でランスロットを追いかけます。翌朝、息絶えた姿で人々に発見されました。その人々の中にはランスロットもいました。
ランスロットにとって、彼女は知らない女性でしかありません。しかも彼にはアーサー王の妃グィネヴィアという運命の相手がいました。そんな彼に恋焦がれて命をおとした彼女ですが、この破滅的な恋は数多くの画家に取り上げられてきました。中でも、ウォーターハウスの3作品は彼女のイメージを決定づけたと言っても過言ではないでしょう。
ウォーターハウス自身は画家の女性と結婚したり、アカデミーの正会員として教鞭を取ったり順風満帆の生活を送りました。1917年亡くなりました。享年67歳。
フェルナン・クノップフ(1858~1921)
フェルナン・クノップフは1858年ベルギーの裕福な家庭に生まれました。裁判官の父親の仕事のため、一時期ブリュージュに住んでいました。
父親と同じ法律家になるため大学に進学しましたが勉強に関心が持てず退学、画家を目指します。1876年ベルギーアカデミーに入学しました。在学中パリを訪れ、ミレーやバーン=ジョーンズの作品に触れます。
当時のベルギー画壇は保守的だったため、クノップフは仲間たちと『20人会』を結成しました。1885年フランスの著述家ペラダンから依頼された本のカバーデザインを担当しましたが、そのデザインが当時の有名歌手に似ているとされ、出版を差し止められてしまいました。スキャンダルでしたが、ベルギー美術界での名声を確立しました。パリやウィーンでも活躍し、クリムトに影響を与えたとされています。
クノップフのモデルはいつも妹のマルグリットがつとめていました。クノップフの彼女に対する執着は並々ではなく、彼女が結婚して自分のもとを去っても、彼女を描き続けました。
妹が嫁いで意気消沈していたクノップフはある小説に出会います。ローデンパーク著の『死都ブリュージュ』です。
この小説はブリュージュに住む男の話です。男は愛妻を亡くして寂しく生活していましたが、亡き妻にそっくりな女性と出会い交際します。しかし、亡き妻の理想的な姿と新しい女性との違いが目につくようになり、ついにはその女性を殺してしまいます。その死に顔を見ながら、男は『そっくりになった』と思うのでしたー。
クノップフはこの小説に魅了されました。この小説の魅力は男の心理描写とブリュージュの街の描写のシンクロ性ですが、彼にとってブリュージュは幼い時に住んだ街であり、そのうえ妹のマルグリットが生まれた街だったからです。クノップフはこの小説に刺激され、ブリュージュの街並みを描き始めます。この制作方法も変わっていて、幼い時の記憶だけを頼りに、絶対にブリュージュへいきませんでした。なので、本当にありそうでないブリュージュの街並みとなりました。
クノップフは1921年亡くなりました。享年63歳。遺品にはモデルをつとめる妹の大量の写真と妹愛用のテニスラケットが残っていました。
『象徴主義』、ここまでにします、
ワッツとウォーターハウス、私自身が大好きな画家なので取り上げました。ウォーターハウスの作品は《神話》マガジンで取り上げる予定なので、『シャロットの女』のみにしました。中世の物語はあまり詳しくないのですが、取り上げるようになりたいなぁ‥。
クノップフの作品は一回しか見たことないのですが、女性像だったので、妹のマルグリットだろうなぁと思って鑑賞しました。『見捨てられた街』はモノクロの写真のようですね。今のブリュージュは繁栄していて想像できませんが、当時『廃位された王妃』と言われるほど寂れていた街だったので、小説のイメージにあったのでしょう。ブリュージュにもいつか行ってみたいです。