豊かさって。
突き抜けるような青空の下で、ただただ何もせずに太陽を浴びながらぼんやり過ごせる時間って、生きてる中でどのくらいあるんだろう。
子供が、公園に行ってブランコに乗りたがる気持ちを、
私はすでに忘れていて、
ブランコに乗る前に、やらなきゃいけないことがあると思ってしまう。心の余裕のなさよ。
皿を洗うとか、洗濯物を干すとか、確実に毎日やってきて、
それが終わったら、ブランコに乗りに行っても良いけど、
終わったら終わったで、また、やっていなかったことを探して“しなきゃいけない”ことに縛られる。
生活をする上で、豊かな暮らしをする上でそれらはとても大事だし、必要なことだと思うけど、
それと同じくらい、
太陽の下でぼんやりする事や、
公園でブランコに乗ることも大切なことのはずなのに。
そんなことより、先にトイレ掃除しなくちゃって。
そんなことより、銀行に行かなくちゃって。
大事なことの順序が狂っている。
私たちは、豊かに暮らすことを、捉え違えてる。
お金があって、なんでも買えて、
部屋が綺麗で、おしゃれでいることが、
豊かなことだと錯覚してしまう。
豊かって何。そんなことじゃないよってことを、
子供達がいつも教えてくれるのに。
大切な事を後回しにしたツケが、私にではなく、いつか子供達に回ってくる。
子供達が大きくなった時に、
太陽の下で過ごす楽しみをすっかり知らない大人になってしまったらどうしよう。
こんなにも毎日
「あー公園に行きたいなー」
と言ってる子供達が、いつの日か、そんな気持ちも忘れて、スマホに時間を取られて、小さな画面をぽちぽちしながら
「クーラー最高」
とか言ってたら嫌だなぁ。
嫌だなぁっていうか、それは私のせいなのだ。
子育てで後回しにしたことは、全てツケとして後からやってくるんだろう。
私はそれがとても怖い。
彼女たちにそうなってほしくないと、心から思っているのに。
……………
ある夜、私は仕事で腹の立つ出来事があって、
もう無理!というような気持ちで、
外食をすることにした。
手早くパパッと食べることができて、子供達が喜ぶ外食。
そうだ、サイゼリアだ。サイゼリアにしよう。と、子供たちを誘った。
夕飯時のサイゼリアは、こんなにも女子高生で溢れているのか。
こぞってミラノ風ドリアを注文して、みんなでシェアしよって、大きなピザを真ん中に置いている。
ぽつりぽつりと、子連れのお母さんもいて、
みんな今日よく頑張ったねと、
夕飯作るところまでは頑張れなかったよねと、ハイタッチしたい気持ちになる。
ほんと、皆さん、お疲れ様です。
あれこれ頼んで、満腹満腹。
嫌な気持ちも、腹立たしい出来ごとも、
満腹になると、全て忘れられる。
満腹ってすごい。人を幸せにする。
子供達は、ドリンクバーにテンション上がって、トイレに3回行くくらい、ジュースを飲んだ。
お腹がもう、小さなプールくらいチャポチャポ言ってて、
こっそり腹を出して見せてくれる。
「もう、パンパンだわ」
車で帰ろうと駐車場に向かう途中で、
すれ違った高校生がびしょ濡れになりながら
「すごい雨だったねぇ!」
と、話してる。
やばいなぁと思う。傘は持ってきてない。
エスカレーターで屋上まで登ると、
入り口のあたりまでびっしょり濡れて、相当な雨が降ってることがわかった。
「ママ、雨だね。傘ある?」
と心配そうな娘。
わかる、わかるよ。満腹で走りたくないとは思うけど、傘ないんだよ。
と伝えて、
「ないから、走るよ!!!!!!!」
と、2人のお尻をたたく。
うん!
わかった!
せーの!!!いくよー!!!
雨の粒が駐車場のライトに照らされて真っ白になって、
私たちに降り注ぐ。
今入り口から駆け出したのに、もう、ずぶ濡れで、
子供達は手を頭に乗せ、小さな傘になるように頑張ってるけど、
君たちの手は、とても小さくて、やっぱりずぶ濡れだね。
なんだか、その姿が、可笑しくて、
気づいたら私もずぶ濡れで、
なんで走ってたんだっけって思ったら、
笑いが止まらなくなってしまった。
「ママなんで笑ってるの」といって、子供もつられて笑う。
「ねぇ、わかんないけど、雨、気持ち良くない?」
と、立ち止まって、手を広げてみる。それは、ショーシャンクの空にの、あの場面のごとく。
パァッと広げて雨を浴びた。
すると、長女が
「ねぇ、ママも!?わたしもそう思ってたんだよ!!気持ちいいよね!!」
と言って、わたしと同じポーズをする。
次女がケタケタ笑いながら、
「ねぇ、濡れていいの?ねぇ!」と、叫ぶ。
してはいけないことをしてる気分らしい。
笑い続けるわたしを見て、ダメだこりゃ!って感じで、3人揃って雨を堪能した。
ようやく車に戻った時には、びしょ濡れを超えて、水浸し人間になっていて、それもおかしくて、また笑った。
そういえば、カバンの中にPC入れてた!と、思い出して、一瞬ヒヤッとしたけど、
そんなことより、今日、いまが、最高ならそれでいいかと思えた。
あんなに元気がなかったのに、雨に濡れただけでこんなに笑えるなんて、素晴らしいことじゃないか。
サイゼリアも、満腹も、わたしを満たしてくれたけど、
自然に身を任せて、子供達と共感し合えることが何より良いことのような気がした。
これだよ、これ。この感じを忘れなければ、人生どんな時も楽しめるんだよ。って。
この日の雨が教えてくれた。
晴れの日のブランコが、人生を救うことがあるかもしれないなぁと、やっぱり思う。
だって、あの日の雨は、間違いなく、私を救い出してくれて、
あんなに腹立たしかったのに、
言葉通り、全て、水に流すことができた。
トイレ掃除も、銀行に行くことも、皿洗いも、掃除も、全部大切だ。
だけど、それと同じくらい、
太陽を浴びて、ケラケラ笑って、
雨が降ったらあたって、また笑って、
そんなことも大事なんだっていうこと。
子供達に伝えなくちゃ。
晴れた日には、どんなことで笑えるだろう。
草の上で転がったって、
走って、走って、競走したって、
きっと、全部おもしろい。
あぁ、はやく、その日を作りたい。
私たちの“豊かさ”を更新したいんだ。