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透明人間になる時がある。

人と話していて私だけ見えなくなることがある。
それは、1人 対 1人では起こらないのだけど、
例えばこちらが3人で、相手が1人みたいな時に、
私だけ見えなくなるのだ。

いや、実際には透明になったわけでも、幽霊になったわけでもなくて、
まぁでも、透明人間くらい、見えてないと思う。

相手の人は、こちら側3人の、ヒエラルキーを瞬時に見抜いて、
1番どうでも良いやつ…即ち私を、いないものとしてカウントする。
私以外の2人の目を見ながら、談笑をし、物事を進める。
2人の意見を聞いて、頷き、しゃあなしに私にも“どうですかねぇ?鈴木さんはどう思われますか?”と聞く。
私が何か話し始めると、すごく理解してるように演技をし、話を最後まで聞かずに、クローズに持ち込む。

私は、相手が話を終わらせようとしてることを感じ取り、話の半分も終わってないけど、
「多分、そんなようなことだと思います」
とか、曖昧な言葉で会話を締めくくる。

ふむふむ、と頷いてる相手は、すでに私の隣の人をみて、私の意見なんて最初からなかったかのように話を進める。

じゃあ最初から聞かないでよ。と思うんだけど、
相手は、私をフル無視するわけにもいかないのだろう。
私はそういう時、ものすごく悲しい気持ちになる。
私が、ちゃんとカウントされる日はくるのだろうか?と、不安になる。


被害妄想が過ぎるんじゃないの?と。言われそうなことなんだけど、
おそらく、被害妄想ではない。
相手にとって、私が必要ないという場面が、幾度となくあるのだ。

相手が私のことを見下し、透明人間のように扱う時、
私はどうしているかというと、
ただ、ニコニコと、人形のように笑って、相槌を打ち、相手の飲み物が減っていないかを確認しながら、時間が過ぎるのを待つ。
“わたし”という存在が、
この居酒屋で、会議室で、バックヤードで、スタジオで、
急に透明になったことを実感して、
透明なんだから、ニコニコしなくてもいいのでは?と思うんだけど、
それでも相手に失礼な気がして、私はひたすら笑う。
相手は私に対してもっと失礼なことをしてるのに、
これは一体なんの時間なのって。
帰っていいですかね?と思いながら、
ニコニコと時が過ぎるのを待つのだ。

私のことを透明人間として扱った人たちは、私のことなんて記憶の端にも残っていないだろうと思うけど、
私は、私のことを透明人間にした人のことを忘れない。
私はあなたにとって透明人間だったけど、
私からもあなたの心情が透けて見えるんですよ。
“こいつ、どうでも良い雑魚キャラだな”
って、心の中で思ってるの、ちゃんと見えてますからね。そして、絶対忘れないですからね。って、
思いながら生きている。

忘れてしまえよとも思うのだけど。



先日母と、そんな話をした。
ある有名人の母親が、なんかのセミナーをする、という情報をネットで見つけて、
たまたま居合わせた私の母と、その有名人の母親の写真を見た。

白いスーツのインナーも白シャツ。襟を立てて、前髪をあげて、吊り上げた眉毛と、真っ赤な口紅。口角を90℃に上げて笑うその女性は、とても素敵な雰囲気だったけど、多分私のことを透明にする人だなと思って、母にその話をした。

「この人、多分とても仕事ができる素晴らしい人だろうけど、会ったら私なんて空気のように扱うと思う」

言った後に“しまった”と思った。
無駄に心配させる一言を言っちゃったなと思ったし、長らく働いていない母には、この感じ伝わんないだろうなとも思ったからだ。

でも、母は
「あーわかる。私のことも、見えないと思う。」
と言った。
母は続けて
「私のことを見ずに、隣にいる人にばかり話すと思う。そういう人っているんだよねぇ」
と、当然のように話した。

そこで、その話は終わった。

あぁ、お母さんも、私と同じように透明になったことがあったんだなぁと安心した。
私は、いくら歳を重ねても、自分なりに努力をしても、例えば周りからはしっかりやってる人に見えていたとしても、
全然透明人間から脱出できなくて、それを恥ずかしく思っていた。まだそんなことやってんの?って。
こんなこと人に知られてなるものか、と思ってた。

だけど、母も同じように、誰かに透明人間のように扱われたことがあって、
その痛みをちゃんと知っているとわかって、とても、とてもホッとした。
ちゃんと、こういう気持ちが分かり合える人が、こんなに近くにいたら大丈夫なのではないか?
と思ったのだ。


透明人間扱いされるのは、悔しい。本当に悔しいし、相手が怖いし悲しいよ。

でも、その人に私の意見を聞いてもらうよりも
ちゃんと私のことを大切に思ってくれる人に、私の意見を伝えたいなと思う。

ちゃんと、それで大丈夫になりたい。
私次第なのだ、それは。
相手がどうこうじゃなくて。
私がしっかりと、私を生きていれば大丈夫なはずなのだ。


頑張るべきは、相手に失礼のないようニコニコとすることではないことに気がつく。
気がついたとて、これから先も、どうせニコニコしながら透明になる時間が訪れるのだけど、
それでも、もう大丈夫かもしれない。

私に必要なのは、
私が私で生きていくための心構えだ。

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