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愛と六次元とエネルギー


*この記事は私のほぼ完全主観的五次元/六次元領域の解釈を絡めた、初めてのオーケストラ体験の感想文です。




触れることはできないけれど、目には見えないけれど、聴こえないけれど、なぜか感じるものがある。なぜか心が動く瞬間がある。感動する。

いわゆる三次元までのわたしが感じる五感。
その五感で感じる三次元より高次元の世界で感じるもの。

多次元についてはそんなに知識がないので、拙い文章にはなりますが、今回とこれまでにわたしが感じていたことをそのまま書こうと思います。(ご意見があればこちらにてDMで教えてもらえると嬉しいです)



エネルギーを感じるのは何次元?

先日、初めてオーケストラを観に行きました。

2022年9月9日からカーテンコールの時のみ写真撮影・SNS投稿がOKになったらしいです


感動したい。
アートに触れたい。
感性に包まれたい。
世界を広げたい。
新しい経験をしたい。
ひとが人生をかけておこなっているもののエネルギーを感じたい。

そんな気持ちを胸に抱き、わくわくしながら向かいました。


さて、私は体感で「「エネルギー」」を感じるのは、五次元以上の感覚なのだと思っています。

一般的(+わたしの持論)でいうと、

一次元…点、数字
二次元…平面
三次元…立体、今ここで私たちが五感で生きている現実世界
四次元…上記+時間軸の移動、集合的無意識
五次元…有か無(1or0)、パラレルワールド
六次元…有かつ無(∞)有とは無、無とは有

という感覚です。(日々捉え直しはしている)

多次元については、なんだかいろんな解釈があるし私も語れるほど詳しくないので、感覚だけのシェアになりますが、現時点ではこんな風に感じています。

ちなみに、いま観測できているのは、十一次元までだそうです。超ひも理論とか超弦理論とか、いまの私の頭では全く理解することができないですが、お好きな方は調べてみてください。

普段のヨガや瞑想、レイキや呼吸の組み合わせなどで、私が体感覚や心感覚として、捉える体験ができたのは上記の基準でいうと六次元の部分。瞑想とかしてると、たまに六次元の世界まで飛ぶ(というより我が存在しなおす感覚になる)ことがあります。



五次元ないし六次元での体験

はい、ではオーケストラの話に戻ります。
結論、とってもよかったです。通いたい。

これはオーケストラやアートに限った話ではないですが、エネルギーを感じる瞬間ってなんだかわかりますよね。
目に見えているわけでも、耳で聴こえているわけでもない。
だけど感動して、鳥肌が立ったり涙が出てきたり。

頭で理解できなくても、言語化できなくても、身体やこころで感じるものがある。(セッション中に感じるエネルギーみたいに言葉を介してうまれるものもある)

演奏が始まって、その光景に目を奪われ思わず身体が前のめりになるほど引き込まれたのがわかりました。「音が聴こえる」というより、生まれ、留まり、流れる、エネルギーを感じる。

目の前の光景が海のような一つの生命体エネルギーに見えました。それは、音からも生まれているし、奏者の方ひとりひとりから溢れ出ているエネルギー、それらが指揮者によってすべてが一つになって一つの生命体として視えました。(共感覚?)


今回は初めてということもあり一番お得な席で後ろの席で鑑賞しました。

「オーケストラは音が聴ければいいのでは」と思い席はあまり気にしていませんでしたが、ずっと目が離せない時間でした。かといって、後ろの席だから不満があったわけではなく、全体性を感じられてとても満足度が高かったです。前の方の席でも観たいなぁ。きっとどの席から見ても違う楽しみ方ができるのだと好奇心をかき立てられました。



指揮者と奏者の関係性

全体性のエネルギーも感じられたのだけど指揮者と奏者の関係性についても、感じ取ってみたものを言語化してみました。

▼指揮者と奏者
・「親と子供」
・「創造主と表現者」
・「さらなる上位概念のもと、一緒に遊ぶ子供たち」
・「ダンスとパートナーシップ」


一年ほど前に山口揚平さんの著書「ジーニアスファインダー」を読みました。

その本の中のコラムに書かれていたこちらの一説が印象的でした。大好きな一説。とても素敵で写真を撮ってお気に入りフォルダにいれて、よく読んでいました。

(中略)指揮者というのは五次元、ないしは四次元の領域で仕事をしていると感じているそうです。素人から見ると指揮者は、タクトを振っているだけのように見えますが、そのような三次元的な目に見える部分ではなく、むしろテレパシーで意識を飛ばして団員をつなげるのが指揮者の仕事だと話していました。だから言葉のうまく通じない異国の楽団でリハーサル時間がたとえ3時間しかなくても、楽団員それぞれの意識をつなげ、シンクロさせなければならないのが本当の指揮者の仕事なのです。

ジーニアスファインダー 自分だけの才能の見つけ方


これを思い出して演奏の合間にもう一度読み直し、それが今目の前に起こっていること、そして見えていることにとても感動しました。

まさにその通りで、指揮者によってひとつの生命体として動いているのを感じました。感じるというか、視える感じ。不思議な感覚。


※ちなみにエネルギーや指揮者について書かれていたのは、コラムの一部にのみで、この本の主要な内容はタイトル通り才能についてです。才能について考えるのにもとても有用で、当時気が楽になったのを覚えています。アセスメントもついててめちゃ面白いので、おすすめです。


視覚で入ってくるのはなんなんだろう。これが共感覚なのかな。

こちらのディズニーのファンタジアを観たことある人はいるでしょうか?
本当にこんな世界観。美しく尊くて目に優しい。(良い写真がなかった…)

もう0も1も関係性も空間もない世界観のなかにいました。楽しかった!




空間とはなんなのか

「0も1も関係性も空間もない世界観」とはなんなのか。
感覚を言語化してみたはいいものの、頭では理解できず。

ここで、新しい問いが自分の中で生まれました。

「「空間とはなんなのか」」

現時点では全然問い自体にもピンときていないけど、私のなかでふわっと生まれてきたこの問いはしばらく自分の頭の片隅に置いておこうと思いました。レイキとかにもつながりそうな気がします。



すべは愛に還っていくエネルギー

感情についてフォーカスしてみました。

感情はエネルギーです。このエネルギーにはどんな感情がのっているのだろう?という問いが自分の中に浮かび上がりました。

この音にはどんな感情がのっているのだろう?と想像しながら聴くのはとっても楽しかったです。

音と動きも激しい部分は怒りの感情なのかなぁとか、軽快で優しい部分は喜びなのかなぁとか、穏やかで優しい部分は慈しみなのかなぁ、とかとか。

そのどれもが1や0、無限や空間というプロセスを経て愛になる。

そのプロセスの中でいろんなことを感じながら「きっと憎悪から生まれる表現は最終的には愛に戻っていくのだろうなぁ」と感じました。

恐れを感じるのも、憎悪が生まれるのも、きっとすべて愛にかえっていくためなのだと感じたのです。うまく言葉にはできないけども。



後記

感じたことが言葉にならず、伝えることができないのは、悶々とします。笑

ただ、今言葉にならないのはきっとタイミングがきていないからだとも考えています。言葉にすると抜け落ちてしまうものもたくさんあるので、いまできる範囲で記してみました。いつかぴったりとしっくりくる言葉になるのかなぁ。なってもいいしならなくてもいい気もしている。


🪐💫


今は、感じたものや視えているものをアートで表現できたらいいなと思っています。

マンダラは描いているけど、凝りすぎて細かすぎて時間かかるので、もっとのびのび短い時間で表現できるものしたいなぁ。どんな画材を選ぼうか最近はもっぱら考えております。

テクスチャーアートとかしてみたい。

アーティストのお友達のみなさま、
ぜひお力とお知恵を貸していただけると嬉しいです🤍


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