人は自分を映す鏡である
と、言うのはあながち間違っていないのではとわたしは思っている。
わたしはスーパーポジティブ人間だ。
嫌なことはチョコを一粒食べるとたちまち忘れる。
全てを良いように解釈してしまうため、怒られたこともあった。
現にわたしの家族は「この子は事実を捻じ曲げて捉えている。嘘つきだ」と思っていたらしい。
が、どこかのタイミングで「この子は嘘つきなわけでなく、この子にとっての捉え方がこうであり、この子にとってこれが真実なんだ...!」ということに気付いたと聞かされた。
わかりやすい例え話をすると、わたしが何かやらかして、先生にものすごく怒られたとしても、「怒られた」が脳内でポジティブ変換されて「わたしのためにアドバイスをしてくれた」ぐらいの温度感になるのである。
とまぁ、親から聞くそういったエピソードがあるぐらい、わたしのポジティブさは、ある種狂気じみているようだ。(自覚はあまりない)
人は自分を映す鏡
ここでようやく本題に入りたいのだが、わたしの狂気じみたポジティブさがあってこそ証明できた「人は自分を映す鏡」ストーリーがあるので聞いてほしい。
わたしは以前、とある取引先の担当者の方に嫌われていたようだ。
プリーツスカートを良く履いていた女性の方だったので、名前を仮にプリーツさんとする。
プリーツさんは、おそらくわたしよりひと回り以上歳上だったが、いつもとても綺麗にしていて、わたしの憧れのブランド(sacaiとかTOGAとか)のお洋服を着こなしていて、すごく素敵だなぁ〜と思っていた。
そんなある日、先輩に言われた言葉でわたしは大きな衝撃を受けた。
「君、なんだかプリーツさんに嫌われてるよね。かなり当たり強いけど大丈夫?担当変わる?」と。
え、わたし嫌われてたのん?!
そりゃもう、ショックだった。
わたしがショックを受けている様子に気付いた先輩が「なんであれで気付かないの?それはさすがに鈍感すぎるから改めたほうがいいんじゃない?」と追い討ちをかけてきた。
ほぅ!わたしは嫌われていることにすら気付かない鈍感野郎だったのか...!
ショックは2倍になった。
先輩いわく、わたしの仕事っぷりは全く問題ないのに、重箱の隅をつつくように指摘をされているということだった。
にわかに信じることのできなかったわたしは、念のため他の先輩にも聞いてみた。
「わたしってプリーツさんに嫌われてるんですか?」
「うん、そうだろうね」
おい!マジかYO!
「あれだけキツく当たられてるのに、嫌な顔ひとつせず、めちゃくちゃメンタル強いなぁって思ってるよ」
いや、違いますよ。メンタルが強いわけじゃなく、気がついていなかっただけですよ。
とまぁ、先輩たち曰く「誰がどう見ても嫌われてるやろ状態」だったらしい。
しかし、スーパーポジティブな近藤はめげなかった。
「ま、別にいっか。わたしはプリーツさんのこと嫌いじゃないし。むしろ好きだし」と開き直った。
これが功を奏したのではないかと思っている。
結果から先にお伝えすると、プリーツさんもわたしのことを好きになった。(と解釈している)
なぜそう言えるのかと言うとお互い当時のお仕事から離れた今でも連絡を取り合っているからだ。
嫌いなやつにわざわざ個人的に連絡をしたり、ましてやごはんに誘ったりなんぞしないであろう。
どうしてそうなったか、理由はたったひとつ。「わたしがプリーツさんを好きだったから」だと思う。
前述の通り、プリーツさんの身に付けているお洋服や靴はとても素敵だったし、どんなに激務でもいつもきちんとお化粧をしていてすごいなと思ったし(わたしはすっぴんでいることも多々あった)、お仕事っぷりも尊敬できるところがたくさんあった。
ので、わたしはプリーツさんを素敵だな、と思ったときにはそのまま口に出した。
「今日のお洋服とっても素敵ですね。わたしそれすごく好きです!」とか、「資料手直ししてもらってありがとうございます。めちゃくちゃわかりやすくなりました!今度からわたしもこれをフォーマットとして使わせてもらおうかな」とか、「プリーツさんのキャリア、同じ女性として憧れます」とか。
ただし、ここで重要なのは「わたしが本当にそう思っていた」ことだと、振り返った今では思う。
特に好かれようとして言っていたわけではなかった。(なぜなら嫌われていることにすら気付いていなかったから)
この実体験を通じて、「人は自分のことを好いてくれている人を嫌いになれないのでは?」という仮説が立った。
幸いにも、今は大好きな人たちに囲まれているので、それを実証する術がないのだけれど、もしかすると、今もわたしが気付いていなかっただけで、わたしのことを嫌いだった人がいるのかもしれない。
が、そう考えるとショックを受けるので、考えないことにする。(そういう思考回路がおそらくポジティブと言われているんだろうな)
人って基本的に優しい生き物なので、笑顔で接してくれた人に毒づくのも、元気よく挨拶をしてくれる人を無視するのも、心のどこがずぅんと重くなるのだと思う。
とは言え、わたしも出会う人全員を好きになれるわけではない。
なんだコイツ?って人も全然普通にいる。例えば駅のホームでわざとぶつかってきて舌打ちしてくるオッサンとか。
そういった人に対しては、その人のことを考える時間がとっても無駄なので、考えることをやめる。ぶつかられて10秒ぐらいは腹立つけど、すぐに意識を他にうつす。あんな意味わからんオッサンのために割くわたしの時間はない。
そうして何もなかったかのようになる。
ただそれが取引先の担当者だったりすると、忘れ去る、無にする、というわけにはいかない。(それでは仕事にならない)
ので、好きになる努力をする。
人というのは本当に良くできたもので、「良いところがひとつもない」なんてことはないのである。
少なくともわたしは良いところがひとつもない人とは出会ったことがない。
まずは、その人の良いところ、素敵だなぁと思うところを見つける。できるだけたくさん見つける。
見つけたらそれを人に話す。
例えば同じチームの人に「◯◯さんってこういうとこすごく素敵だよね〜」と。
言霊 というのは本当にあると思っていて、口に出すことでそれが真実となる。
そうしていつの間にか苦手だったはずのその人のことを好きになれるのである。
この法則はスーパーポジティブで鈍感なわたしにだけ使えるものなのか、みんなに通ずるものなのかはわからない。
が、「人は自分を映す鏡」
これは少なくともわたしにとっては真実なのである。
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