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【本】愛されなくても別に
「愛されなくても別に」
このタイトルを見て、どんなイメージが湧くだろうか。
私は、表紙の絵と相まって、誰から愛されなくても生きていけるような、強い女性が脳裏に浮かんだ。
何度か大学の売店で目にして、タイトル、表紙に描かれた目力のある女性のイラストに強い引力を感じ、この本を借りて読んでみることにした。
あらすじ
時間も金も、家族も友人も贅沢品だ。
遊ぶ時間? そんなのない。遊ぶ金? そんなの、もっとない。学費のため、家に月8万を入れるため、日夜バイトに明け暮れる大学生・宮田陽彩。浪費家の母を抱え、友達もおらず、ただひたすら精神をすり減らす――そんな宮田の日常は、傍若無人な同級生・江永雅と出会ったことで一変する!
愛情は、すべてを帳消しにできる魔法なんかじゃない――。
(一部省略)
本を読んで考えたこと
この本は、とにかく刺激が強かった。
「愛」を受けることは恵まれていることだ、と考えていた私に改めて「愛」を考える機会を与えてくれた。
愛を与えられたらすべてを許さなくてはいけないのか
例えば、親から十分な愛を受け、幸せだと思っていた。
しかし、将来のために行きたい大学が実家から遠い場所にあったとする。
そのことを親に告げた際、親に
「あなたのことが心配だから行かないでくれ」
と言われたら。
あなたは「普段自分のことを愛してくれているから、心配してるのも私のことを愛している故の感情だろう。だから行きたい大学は諦めるか。」
と思い、すんなり諦めることができるだろうか。
多くの人が諦めたくないだろう。
この場合、子供の行きたい大学に行かせることが本当の愛のある行動だと考える。
自分都合で愛している相手を縛っては、それは愛ではなく「わがまま」や「自分勝手」に分類されてしまう。
もっとわかりやすく言うと、人に暴力を振るっている人が「愛している故の行動なんですよ。」と言っても許されるわけがない。
誰かを愛しているとき、愛を与えているから許されるということは存在しない
誰かに愛されているとき、「愛されているから許さなくてはいけない」ということは存在しない
ことを胸に刻んだ。
それぞれの愛の重さ
主人公の宮田と対照的に、親からの愛をたっぷり注がれ、周りから見れば何不自由ない生活を送っている、宮田と同じ大学に通う木村という少女が登場する。
宮田も彼女に対し、嫉妬のような感情が芽生え、親に愛されていることは贅沢なことだという考えをぶつけた。
しかし、親からの愛を受けていても、木村には木村なりの悩みや苦しみがあった。
私が生きていて、何かに優れている人が、苦悩なく生きていると考えている人が多くいるように思える。
お金持ちの人を見れば、「お金に不自由してないんだな。羨ましい。」
スポーツ選手やアーティストが親の遺伝や、英才教育を受けていたら「才能や環境があっていいな。羨ましい。」
なんていう嫉妬のような気持ちが沸き上がるだろう。
そう思ってしまうのは仕方がないことだ。誰だって願いが叶うなら、全て自分の思い通りにいく生活がしたい。
しかし、彼らにだって彼らなりの悩みがある。
いつ自分の事業がうまくいかなくなるか分からない不安、親や周りからのプレッシャー、など
贅沢な悩みだなんて思うかもしれないが、本気で悩んでいるだろう。
自分が何かに対して本気で悩んでいるときに「あなたの悩みなんて贅沢なものよ」なんて流されたらいい気分にならない。
この世の中に悩んでいない人なんて存在しない
ということを改めて実感した。
さいごに
この作品は、登場人物の生き方だけでなく、実際の日本で起きた出来事も織り交ぜて書かれているので、読んでいて非常にリアリティのあるものだと感じた。
私は、暴力などなく、衣食住に困らない生活を今まで送ってきたが、そうではない人の生き方や考え方に触れられて、一つ人生経験が増えたような感触になった。
愛は時に、縛り、苦しめ、生きていることを忘れさせる。
だが、愛は時に、喜び、安らぎ、生きていることを実感する。
結局、愛ってなんなんだろうね。