活字と辞書と私
私が初めてハマったもの、つまり趣味と呼べるものは、おそらく読書だ。今となっては、趣味というよりも習慣になっているので、好きとか嫌いとか癒しとか、そういうものではなくなってしまっているのだけれど。
初めて読んだ本も、なぜ本を読むことが好きだったのかも、何も思い出せない。でも、活字を見るのが好きで、活字を眺めていると心が落ち着くような感覚があったの覚えている。
もちろん、本の内容が面白くて、刺激的で、”お気に入りの本”や”読みたい本”もたくさんあったし、今でもたくさんある。
それ以前に、活字に心を癒されていたのは確かだ。
とりわけ、辞書。
あの分厚い本に挟まった薄っぺらい紙を眺めるのも、めくる感覚も、何もかも好きだった。もちろん内容も、面白い。
辞書は何かを調べる『ツール』として認識されていて、そう使うのが本来あるべき姿、役割だということも理解している。
でも、「知らなかったことを知る」以上のことを学べるのが、辞書の魅力だ。
例えば、知っている言葉でも、それを違う言い方で表現し、他者に理解してもらうのは、簡単ではない。簡単な、誰もが知っている言葉であればあるほど、難易度は上がる。
それを見事に表現して見せるのが、辞書だ。
そしてさらに面白いのは、辞書でも出版社やものによって表現が多種多様。
この違いに気づいたのは、大人になってからだけれども。
とにかく、活字に癒され、言葉の表現に感銘を受けていた学童期。
そしてもうひとつ、辞書に興味を持ったきっかけは、私が学童期に暮らしていた場所が関係している。
一般教養として周知されていることなのか、それともマイナー知識とされる部類なのかはわからないが、国語辞典を最初に作った人物、谷川士清(たにがわことすが)という人物をご存知だろうか。
彼の旧宅が、近所にあったのだ。
三重県津市の八丁という、スーパーローカルな場所。
彼はそこで宝永6年1709年に、町医者の家に生まれる。自身も産科医として働く傍ら、国語学の研究および執筆活動も熱心にされていた学者さん。
この、谷川さんが、初めて50音順に配列された辞書を作ったと。
余談になるが、同じく三重県生まれの国語学者といえば、本居宣長。彼も同じく医者でありながら、古事記の研究に勤しみ、「古事記伝」を執筆したのは有名な話。彼とも交流があったそうな。
個人的には、「古事記伝」よりも国語辞典の方が、多くの人の役に立っているのでは、、、?なぜ谷川さんはあまり有名にならなかったのだろう、、、と思ったり。まぁ、有名になるかどうかの尺度だけで見るのは、ナンセンスだということか。
話を戻すと、その旧宅が平日が無料解放されていて、暇があればちょこちょこ通っていた。
津市民であっても、知らない人の方が多いであろう、目立たなず、わかりにくい場所。もちろん華やかさも物珍しさもなく、古民家に万年不変の展示物が並んでいるだけ。
でも、私はそこへ行くのが好きだった。
自転車を本気で立ち漕ぎすれば、5分もかからないぐらいの近所。
最初のうちは、古い展示物が物珍しく、じっくり見ていたけれど、3回も通えば全て暗記できる程度のボリューム。行くたびに、「何も変わらないな、、、」なんなら「退屈だ、、、」とすら感じることもあった。
でも、何度も何度も通った。
こんな環境も手伝って、私と辞書は、近い関係にあった。(一方的に)
これらが、私の読書ジャーニー【始まり編】
まぁ、それ以降の続編などなく、普通にいる『日常的に本を読む人』なのだけれど。
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