楽しめているのだろうか
「楽しい」と言う感情は、何かをする上で大切なものかもしれない。
もちろん、「楽しい」と感じれる場面の裏には「大変」だとか、「辛い」「きつい」「苦しい」みたいな感情が付随することもある。
でも、そんなことも含めて「楽しい」と思えた時や「好きだ」と思えるのってかなりの継続するための力になるような気がする。
「役に立つ」とか、「上手くいく」よりももっと継続するための力になり得る気がしてならない。
というのも、私は感情が心の奥で青い炎のように、一見熱くなさそうだけれど静かに燃えているような時は、文章や言葉というものは湧き上がるように筆が進む。
でも、ここ数日筆がなかなか進まない日が続いていた。何だか自分の中でこれだと当てはまる文章が書けない。ぼうっと音を立てるような感情も、穏やかな流れの中にでも静かに灯るような感情も見つけられず、少し枯渇しているような感覚になる。
ふと振り返ってみれば、最近は文章を書くことを楽しめていただろうか。
日常のあらゆるものにアンテナを張ることに心は躍っていただろうか。
そんな自問に思いっきり首を縦に振れない自分がここにいる。
最近数字を見過ぎていたかもしれない。
数字はあくまでも手段で目的じゃないことを忘れたくない。
そんな呟きが心の中をこだましている。
初心に戻って「言葉を書く」ことに正面から向き合いたいと、今日は手元の日記帳に書き殴った。
かみつれ日記 2022.11.19
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