No13『最後の医者は桜を見上げて君を想う』二宮 敦人
『最後の医者は桜を見上げて君を想う』二宮 敦人
末期がんの患者がいる。
「寝たきりでも、声が出なくても、生きてさえいればいい。
とにかく生きるために、抗がん剤治療をして戦おう。
患者さんの闘志を燃えさせるのが医者の仕事だ」
ある医者はこのように考える。
「延命治療がその人の幸せとは限らない。
投薬をやめて家でみんなに囲まれながら、ゆっくり死にたい人もいる。
その考え方を尊重する」
またある医者はと言う。
だからこの2人の会話は噛み合わない。
でもどちらも患者さんのことを真剣に考えているのは変わらない。
誰かにとっての正義は、誰かにとっては非常識で不愉快なものだ。
このように死生観は医者であっても、バラバラだ。
だから私たち自身が「どう死んでいきたいのか?」しっかりと考える必要がある。
それが自分の命に対して責任を持つということだ。
自分の命までもベルトコンベアーに乗せてはいけない。
社会は効率性を求め、ある程度の流れができている。
これは良くもあり、悲しくもあり。
その状況に「私は社会の歯車になっている」と文句を言うのではなく、
自分の道をみつける努力が私たちにとっては大事なんだと思う。
そしてその道の先は「死」だ。
この先医療の発達により寿命という概念がどう変わるかわからない。
ただ、今の世界では人は100%死ぬ。
100%たどりつくゴールだからこそ、私たちはここから目を背けてはいけない。
「どう死んでいきたいのか?」
「道中はどんな景色をみたいのか?」
「はたまた新しい道を開拓したいのか?」
病気になってから考えては遅い。
「死」から目を背けることなく、今から向き合おう。
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