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機屋と書いてはたやと読む-3-
前回、某ホテルで7年間ブライダルフォトを撮り続けたことを書いた。
そしてその某ホテル写真室での仕事を辞めた7日後、7月初旬私は英国へ向けて飛び立った。英国本土の中央の一番南に位置するサウスハンプトンという街へ向かった。そこはタイタニック号が出港した港町で、ヨット文化が大変盛んな街。ロンドンから特急で1時間30分程しか離れていない地方都市で白人の割合の高い街だった。
そこで2ヶ月間、主に語学学校
機屋と書いてはたやと読む-2-
高橋名人の私は、社員から厳しいダメ出しもされなくなり、自信がついてきていた。
技術的に問題なく仕事ができるようになってくると湧いてくるのが欲。自分の気持ちに変化が起きた。
どんな形か分からないけど、やっぱり"写真"がやりたい。
そんな時、現れた新人アルバイトさん。新人と言っても私より年上で既婚者、そして女性だが大きなバイクに乗る人だった。250ccだったか、忘れたがとにかく大きなバイクだった
機屋と書いてはたやと読む
なんで機屋のことを書くことになったか、簡単に説明する。
私は愛知県一宮市生まれ。
両親は愛知とは何のゆかりもないところから来た。
しかし兄と私は愛知で生まれ育った。
私は写真を生業にしているが、両親親戚に同様な人物はいない。
ある日、私は写真をやる、と決めた
まだ10代の半ばのころ
それから月日は経ち、親のお金で大阪の大学で写真を勉強させてもらい
その後愛知に帰ってきた。
カメラ