機屋と書いてはたやと読む
なんで機屋のことを書くことになったか、簡単に説明する。
私は愛知県一宮市生まれ。
両親は愛知とは何のゆかりもないところから来た。
しかし兄と私は愛知で生まれ育った。
私は写真を生業にしているが、両親親戚に同様な人物はいない。
ある日、私は写真をやる、と決めた
まだ10代の半ばのころ
それから月日は経ち、親のお金で大阪の大学で写真を勉強させてもらい
その後愛知に帰ってきた。
カメラマンで生きていくのかな?
でもどの分野のカメラマン?
カメラマンと一言で言っても色々なジャンルに分かれている。
例えば商品撮影をする人、スタジオででっかい照明を何個も立て、
料理や洗濯機や車、雑誌の表紙のモデルさんなどを撮る人。
こういった仕事は、東京に集中している。
ただ、私が仕事を探していた時は名古屋にも何軒かあったが今は分からない。
それ以外だと営業写真館と呼ばれるもの。
保育園や小学校、高校などのアルバムのための撮影や、七五三、結婚式など
を撮る、いわゆる街の写真屋さん。
私は、悩んだ。
大学まで出させてもらったのに、何したらいいか分かんない、と。
それでとにかくバイトを探した。
そこで見つけたのが映像の編集のバイトだった。
少し昔の話だからまだビデオテープの時代。
名古屋駅から伸びる中央線の電車が走り抜ける線路の下にある事務所で、
今思うとかなり旧式の編集機材を操っていた。
それから結婚式の映像撮影も、遠隔操作で撮影し始めた。
スイッチャーというやつ。ゲーセンにあるゲームみたいなでっかい機械に
3つモニターがある。そのモニターはそれぞれのカメラが何を写しているか
を示していて、ズームしたり、引いたりしながら画を作っていく。
ゲームのバーとかコントローラーのようなもので操作し、録画していく。
編集と同時に録画する、という撮影。。。
これは習得になかなか時間が掛かったが、1年2ヶ月くらいやっていたら、
高橋名人みたいに手が早くなった。
続きは次回へ