
幻想と共鳴――藤村由紀『ジルコニア』
職業作家がいなくなった時代の、ある書き手と読み手の交友――。
法により誰もが本の出版を定められた社会。そこで問われた物語の価値と作家にまつわる物語に、きっと「脳」を揺さぶられるでしょう。
初めに
最初に断っておきたいことが、二つあります。
一つ目は、この記事は紹介ではなく感想の記事に近い、前言(参照:私のTwitterのお話その2)を翻したものになります。とはいえ、そもそもネタバレで困るような物語でもありませんとは言っておきます。
二つ目は私がこの小説が群を抜いて好きだということ。特別だということ。作家に憧憬と敬服とを持ち続けてきた私にとって、狂おしいほどに好ましい、精神や価値観、理想の核心を突く物語であるということです。そのためやや興奮のあまり前のめりな表現になっていたり、押しが強い言い回しになっているかもしれないのです。その辺りを差し引くか、むしろ一緒のテンションでお読み頂ければ幸いです。
それでも未読の方で、特に気にされる方は目次で言う「舞台設定と物語の筋」まででお止めくださいませ。(「言葉を遣うということ」以降は内容にだいぶ遠慮なく触れてます)
ちなみにどれくらい好きかは下記の私の初読のツイート参照。
ジルコニア読み終わってもう2周して今4週目。今夜はこのまま「緩慢な表象と虚ろな幻想」再読に突入。私のツボをつきすぎなのですよね。
— 冴月 (@saetsuki_0) June 12, 2019
何というか非常に私的なことで言葉にできない、というかしたくないものなのですが、言葉を巡る小説、自分の求めてる透明な筆?に近くて好きと憧れとが同居して辛い
言葉にできないし、しようと思ったら拒否反応を起こすぐらい柔らかいところに触れるもの。
— 冴月 (@saetsuki_0) June 12, 2019
自分でもなに書いてんだかって感じなのですが、それくらい生まれついての本好きの、作家に憧憬と敬服を持ち続けてきた人間が狂おしく好むお話なのです。
とにかく、是非読んでもらいたい作品です。
AmazonのKindleを使ってないよという方は関連作『緩慢な表象と虚ろな幻想』でも良いので……。
酷く私的なものですが、同じ思いを持ってくれたなら嬉しいです。
この本について
さて、単純な事実関係の情報についてです。
この本は2015年の文芸フリマ東京に出品されたもの――つまり同人誌です。現在ではAmazonのKindleにて電子書籍として扱われてます。
また、『小説家になろう』に掲載されている『緩慢な表象と虚ろな幻想』(作品リンク)の関連作でもあります。こちらはこちらで記事にする予定です。
「ジルコニア」
— 古宮九時@FGO (@furumiyakuji) June 12, 2019
これは、職業作家が消えた時代の話。
https://t.co/PwoEmjWc7K pic.twitter.com/QhR4Q3gBvg
上記は作者さんがツイートした冒頭試し読みです。Amazonへのリンクもツイート内にあります。
ここで古宮九時さんという名前が出ましたから、著者について。
この「藤村由紀」さんというお名前は、同人即売会やWeb小説の発表時にお使いになっている名義です。商業では別名義、「古宮九時」先生として活動なさっています。
そしてこのお方は、私が常々おすすめしてる『Unnamed Memory』というファンタジーの作者さんでもあります。著作リストはこちらをどうぞ。また、上記の著者名にWikipediaへのリンクもつけてあります。(書誌情報はWikipediaの方が一覧性が高いです)
この『ジルコニア』は、藤村さんの数多くある物語群の中でも少し異質であり、しかし「言葉」を巡るという面においてどこか通底するもののある、《人と本を語る》小説です。
物語を愛する人には、そして読書を生活の一部とする人には、たまらないものなのではないかなと思います。
舞台設定と物語の筋
『遠くて近い未来、職業作家は姿を消した。国民は一生に一冊の本を出版することが義務付けられ、だが二冊目は許されない。本屋に並ぶ本は、全て誰かの一生に一冊だ』
――『人は誰しも一生に一つは名作を生み出すことができる』――
偽りでもあり、真実でもある、とある政治家の言葉。
それが後押しして出来た法律。
二〇五二年、基本教育法、第二章第十六条において定められた一文。
『全ての個人は、生涯に一作のみ、言語の著作物を出版しなければならない』
――これは今より数十年先の未来、この「人は誰しも一生に一作は名作を書くことができる」という思想を元に全国民の出版が義務とされ、しかし一生に一作だけしか書くことができなくなった社会の物語。
そう、職業作家が消えた時代のお話です。
そんな時代にあって、本を好む人間が一人。
主人公である「彼」は、深夜の書店でいつのように本を買います。
それは、これから書く自分の一冊のために。
帰宅して、持ち帰った七冊の中から無作為に一番上にあったものを取り出しました。それは青い本、透き通るように青い空を表紙にした本です。
――結果として彼はその本を三時間に渡って、四回繰り返し読みました。
まるで、自分が書いたような。
けれど、決して自分が書かないような。
何処までも傲慢で愚かしい人の願いが詰まった、そんな話だった。
胸を焼かれる、と言ってしまえば欺瞞になっただろう。
単なる憧れではない。嫉妬にもよく似ていたが違う。ページをめくる指が、我知らず震えることが何度もあった。
藤村 由紀. ジルコニア (Kindleの位置No.95-100).
そんな感想を抱く、本。
彼は読み返しの最後、四度目にして初めて奥付に書かれたメールアドレスに気が付きました。
「らしくない」
自分でもそう思いながら、そのアドレスへとメッセージを綴ります。
何回も、何時間も掛けて、便箋で書いていたらそこらじゅうが書き損じの紙で埋まってしまうほどに書き直して。結局は短い文になって、それでもだそうだと思う文を足して。
それは初めてのメッセージに突飛なことは書きたくなくても、社交辞令とは思ってほしくなかったから。
――それから今は読者の彼と、既に作者の彼女の、言葉だけによる短い交友が始まります。
言葉を遣うということ
この物語を語るにあたって外せないのは、『言葉を遣うということ』、そして『己を表すこと』『己を隠すこと』という言葉。
藤村由紀『ジルコニア』読了。このお話は短いけれど、私に無視し難い残響を残していくようです。言葉を遣うこと。己を表すこと。隠すこと。作中世界で彼や彼女は何を思い、人々は何を書き、自分だったらどう生きるでしょう。『だから、わたしは死なない』。皆様は如何。
— 海月の骨 (@kuragezoa) June 12, 2019
これは個人的にいつもツイートを楽しみしているフォロワーさんである海月の骨さんのツイートで、読了後に流れてきて衝撃と共に非常に共感したものです。私にとって特別なもので、故に引用させてもらいました。
作中で述べられる『彼女』の文章の特徴。
「己の書くものから己の痕跡を消したいと思う頑なさ」
そして、繰り返し現れる「愚かしい」という語。
何故、言葉を遣うのか。
何のために物語を紡ぐのか。
何時、物語は死ぬのか。
たった一冊しか書けない時代の中でそれを読者は問われ、そして答えは示されます。
『きっと、全ての話を吐き出し終えてしまったら、人はもう生きている死体 と変わらないの。本だけが残って、それが読まれなくなった時に、物語も死ぬの』
藤村 由紀. ジルコニア (Kindleの位置No.389-390).
『わたくしの世界は、もはやわたくしの棺に入れられることはない』
藤村 由紀. ジルコニア (Kindleの位置No.299-300).
『だから、わたしは死なない』
藤村 由紀. ジルコニア (Kindleの位置No.393).
作り物は不実か、否か
物語は佳境に進み、『彼女』は「彼」に問います。
『本当のことであれば、人の心を打つの? そうでないものはただの娯楽物なの?』
「分かりません」
『大事なことは事実か違うかなの? 愚直な人生も、それが事実であれば温かな話で、作り物であれば退屈な話になるの? 奇跡のような善意の偶然も、事実であれば珠玉の話で、物語なら綺麗ごとなの? 事実は尊くて、作られたものは全部不実?』
藤村 由紀.ジルコニア(Kindleの位置No.371-375).
一冊しか本を書けない時代にあって、その身に尽きぬ物語を持つ彼女。
それ故にした選択はどこまでも偽物でしたが、籠めた思いと意志は本物でした。
だからきっと、彼女は彼の目の前に居たのでしょう。
『ジルコニア』
ジルコニア。
二酸化ジルコニウム:ZrO2。
透明でダイヤモンドに近い高い屈折率を有することから、「模造ダイヤ」とも呼ばれ、宝飾品としても用いられている物質。
先の問い。それに対する答え。
真実とは奇跡の産物である輝石。
タイトルは人為の産物である合成石。
意味するのは真実であることが大切、ではないということ。
本当に大切なのは心を動かすかどうか、ということ。
偽物でも、人の心を揺らすことが出来るなら、それが本物なのだ。時に造られた宝石が、本物よりも美しく輝くように。
藤村 由紀. ジルコニア (Kindle の位置No.412-413).
これを受け取った彼は、彼女が本当は誰であるかどうかは、――事実かどうかは、もう、関係しないのです。
だから作り物であり、物語でもある彼女は、読者である彼らに読まれ、記憶され続ける限り、死なないのです。
終わりに
この『ジルコニア』という小説は『緩慢な表象と虚ろな幻想』と並び立って私にとっては特別で、核心をつく物語です。
単純に話として面白いのはそうなのですが、私の抱く物語というものへの幻想と言いますか、なんといいますか、書き手の存在を主張しない硝子の透明さを想起する筆致もそうですし、題材時代が希求するものであるのもそうですし……。
言葉にすると上手くまとまらないような、私の酷く繊細な部分に触れる物語なのです。
桜風堂ものがたりの私の紹介note(参照)でも触れた共通幻想に近いものものあるのですが、それともまた少し違うのですよね。
物語の可能性、物語への理想とでもいうべきもの。その一端に触れたのがこの『ジルコニア』という小説なのです。長く本を読み続け、作品と作家への憧憬と敬意を持ち続けたゆえの期待が形作った、そういう意識を揺らす、とても貴重な一冊でした。
本当に『物語』というものを好む人には、どうしようもなく響くものだと思います。ぜひぜひ、読んでみて下さい。
最後にリンクをAmazonへのリンクを張っておきます。現状紙の本はなく、Kindleだけの取り扱いとなっています。むしろあったら私が欲しい。
……ちなみに、特にアフィリエイトではありません。偶に気にされる方もいらっしゃいますので、念の為。
……さておき、この小説は何重の入れ子構造なんでしょう。
本旨には影響はなく、むしろ作品像を強めるエッセンスとして働いているのだと思いますが如何に……。
ともあれ、ここまでお付き合い頂きありがとうございました。
よろしければ2019上半期ベスト10冊でタグ付けした(マガジンにもしてます)私の他の記事や、あるいは私のnoteも見ていって下さると嬉しいです。
余談:『緩慢な表象と虚ろな幻想』を踏まえて
冒頭の「脳」を揺さぶられる、という表現ですが、これは『緩慢な表象と虚ろな幻想』の名台詞「精神が。―――― 人の精神以外の何を愛するというの」を踏まえてのものです。
心、というよりかは理知、あるいは思索の精神を揺さぶられる、故に「胸を震わされる」や「心揺らされる」という言い回しではなく「脳を揺さぶられる」という言い回しになりました。
もちろん感傷的なものではあるのですが、なにより先生の精神性と作家性に敬意と愛着をもつというイメージでこの言葉を選んだのです。
……最後にって言ってからが長いね!
お目汚し失礼しました笑