世界の本質的な美しさを露わにするために、
こんにちは。
むらせあやです。お友達からはあやめと呼ばれています。
東京・千葉で中南米の楽曲を中心に、しずかな情熱に満ちたあいのうたをうたっています。
こんなかんじです。(所要時間:約2分)
これは、2017年〜2019年の3年間に取り組んだ音楽活動の軌跡を記録しようと、書きはじめた最初の記事です。
音楽にまつわる、圧倒的ななにかを持たざるわたしが、それでも音楽を介して他者と響きあいたいことがあるんだよと、心にあるすなおな気持ちを認めて腐ることなく、
淡々と自分と向き合いながら音楽表現を育てていくさまを、冷静な視点で伝えたらちょっと面白いかなと思って。うたいはじめて3年目が終わろうとしている今から見た省察の記録。
相対的には特別な才能はないと受け入れたうえで、でも自分にしか咲かせない花はあると、信頼を寄せ歩きはじめたわたしの道のりは、これまで「才能」と呼ばれてきたものへの少しの懐疑心から生まれているかもしれない。
表面的には同じような営みに見えることでも、内実はかなり違う、ということがあるよね。そういうわかりにくい場所にとどまり続けながらも、確実に刷新していくなにかについて、とても興味を持っている。
あとは、そうだね。自己批評を適切にできるというのは、現代においてものすごく大切な在り方だと思ってるので、それをこの場でやりたいかな。
特にビジネス的な文脈において飽和している、いまの自分をわかりやすく価値あるものとして伝える行為にひどく食傷気味なので、未完成であるなかの完全性について光をぴかぴかと当てたい。
自己を肯定しながらも、自身のアウトプットに対して正確な観察を持つことの威力を、もうすこし露わにできたらいいな。
そういった思いを込めて、いくらかの抽象化もありつつも現実との誤差は少なめに、尊大からも卑下からもある程度距離をとりつつ、しかし体温を感じる筆致で書けたらと考えている。
もうひとつやりたいこととしては、曲にまつわる心象風景を伝えてみたい。インサイドアウトの在り方で表現できるアーティストでいたいから。
うたう行為は、わたしのこころとからだに出会い直す旅路のはじまり。つながりを取り戻しながら技術や経験を培っていく。地道な鍛錬がいりますね。
それらが揃うのを待っていては遅いので、今できること&少し背伸びして届きそうなことを織り交ぜつつアウトプットの機会を持つ。そのなかでアップデートを重ねる方法で運用しています。そこは超インターネット的に。
ところでわたし、人の話を聴くことと書くことが得意で、インタビューを専門としたライターのお仕事をしてきました。
あるひとがなにかを話す。その行為を通じて立ち現れる、ことばにし得ていない領域のなにがしかの感覚を、からだぜんぶで聴く。そしてそのひとがいい表したかったものの全体性をことばに再構成して世の中へ差し出す。
わたしにとってインタビューライティングとはそういうお仕事です。
ことばと向き合ってきてすごく感じるのは、ことばではとうてい共有できない質感というものの存在でした。
いっぽう、生演奏で繰り広げられる音楽は、その質感のほうをあらわして、「はいどうぞ。」って差し出せるところがすばらしい。そう感じています。
だからわたしは、足を運んで音楽を聴きに行く、というリアルな体験全体を通じて他者と響き合わせられたらいいなと、うたいはじめました。
なにを響き合わせたいのだろう?
そこはほんとうに、ライブで直接感じてもらえたら嬉しいなと思う。
ただ、あえてことばへ落とし込もうとするなら、表題の「世界の美しさを露わにするために。」が、そのコンセプトといってもいい。
このタイトルは、わたしがこれまで出会ってきた、そしてこれから出会うであろう美しきなにかについて、残しておきたいと願いつけたものです。
美しさってわたしにとっては、しみじみとした嬉しさを誘発するもの。瑞々しくフレッシュなよろこびに満ち、怒りや悲しみを包含するもの。いのちの源につながっているエネルギー。
人生をはじめた頃、悲しいこと辛いことがとても多かったので、世の中にはもっと美しいものが沢山用意されているよと、あの時の自分に伝える気持ちで、美しいもののひとしずくとしてしっとりと世界をうるおしていこう。
どうぞよろしくね。
この記事が参加している募集
読んでくださって嬉しいです。 ありがとー❤️