スナックと銭湯に共通する”匿名性”と”常連感”
最近、昔からあるのに価値を見直され再評価されているものがいくつかあるなぁと思っていて、特に「スナック」と「銭湯」は周りにも良いと言っている人が多いなぁという印象で。その2つの魅力を要素として分解していくと”匿名性”と”常連感”という共通点があるなぁと思ったので、それについて整理してみました。
評価している人の属性
スナックは地元のおじちゃんだったり、銭湯は生活の一部になっている人もいますが、どちらも経営者や精力的に活動している「意識高い」部類の人こそが「良い!」と発信している姿をSNSやリアルの場で見かけます。(そういう方の方が発信する可能性が高いので、結果としてそう見えているだけという可能性は考えられますが、あながちズレてはいないと思います。)
では、なぜそうした”意識高い層”が「良い」と言っているのでしょうか?
居心地の良い”匿名性”
”意識高く”、常に発信を繰り返す層は、会社や肩書といった脚色された自分が外側におり、リアルやSNS等、特定された状態でONもOFFも過ごしているという人も少なくないと思います。
しかし、スナックや銭湯といった場所は、閉鎖的な空間の中で、そうした肩書どころか本名すら知られずに、人となりからコミュニケーションがスタートできる(銭湯に至っては文字通り裸での付き合い)、現代において”匿名”で過ごすことのできる特殊な場所と言えるのではないでしょうか。
彼らは、そうした”匿名性”を心のどこかで常に求めている。それがスナックと銭湯に共通し、彼らを惹きつける要素なのだと感じています。
※スナックは領収書切る時に会社名や本名はわかってしまうけど、お客さん同士はわからないということで。。
居場所としての”常連感”
また、スナックや銭湯はいずれも”常連さん”の存在が空間を構成する重要な要素です。コーヒーチェーンや居酒屋も毎日通えば店員さんと仲良くはなれますが、個人で経営されているスナックと銭湯は店主の哲学が良くも悪くも反映され、常連になる=認められると言っても過言ではない、また違った趣きがあります。
多様なコミュニティを持ち、日々精力的に動いている彼らだからこそ、いつもとは毛色の違ったコミュニティの中で飾らない自分でいることができ、温かく迎えてくれる場所。世の中の価値軸とは違い、閉鎖的な空間の中でひとりの人間として認められる感覚は、幅広く活動している彼らにとってこそ、必要な感覚なのかもしれません。
相反する要素が両立される空間
”匿名”なんだけど、”常連”である。一見すると相反するような状況が同時に成立する空間。これこそが最近話題の「スナック」と「銭湯」が再評価されている重要な要素ではないでしょうか。
※2019年現在。また変わるかもしれません。ご意見・ご感想お待ちしています。
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