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姑獲鳥の夏/京極夏彦


■ 感想

姑獲鳥の夏/京極夏彦(講談社)P621

どこまでもだらだらといい加減な傾斜で続く坂道を登り詰め、貧弱な竹藪に挟まれた蕎麦屋の隣にある古本屋「京極堂」。此処の主人である京極堂こと「中禅寺秋彦」は、ありとあらゆる書物に精通する書痴を極めた店主であり、店先の小さな森にある神社の神主であり、拝み屋として憑物落しをする陰陽師でもある。

この主に「三文文士」呼ばわりされる友人の関口巽が齎すカストリ雑誌の猥雑な話題は封印された過去を開くパンドラの箱となり、哀しい姑獲鳥の朱に染まる端緒となる。

「二十箇月もの間子供を身籠っていることが出来ると思うかい?」

有り得ない関口の問いに返される京極堂の代名詞となる台詞「この世には不思議なことなど何もないのだよ」は、この後のシリーズを読む程にその意味を深め、如何に人は固定観念という脳の檻に囲まれた思考の中で生きているかということを登場人物たちと共に体感していくような感覚となり、蒙が啓かれていく。

二十箇月に及ぶ妊娠を継続中の人物は、雑司ヶ谷にある「久遠寺医院」の娘・梗子。その姉である涼子が京極堂の友人で薔薇十字探偵社の探偵・榎木津に、密室から消えた妹・梗子の婿「牧朗」の消息を探してほしいと依頼されたことで関口の話と繋がり、妊娠と失踪、久遠寺医院に纏わる不気味な噂が絡まり合いながら事件の闇は広がっていく。

戦争が終わり、高度成長期へと突入していく異様なテンションに包まれた日本の空気を体験しているかのように感じられる見事な背景描写の魅力や、いろんな方面に癖の強い登場人物、常識とされる範疇を越えた事例や怪異を見事に解くその手腕と論理に魅了される百鬼夜行シリーズは、京極堂から広がる派生読書を重ねた後に本書再読を繰り返す度に物語の強度を増し、ここが作家としてのスタート地点である京極さんの異才に圧倒される。

宗教とは脳が心を支配するべく作り出した神聖なる詭弁であり、心理学は共感出来る者にのみ有効な、科学の産んだ文学とは蓋し名言。見えないからといって存在しないとは限らず、目を、耳を、閉じていなくてもその存在や音が届かないこともある。

「考えるのが脳で、考えさせる意志が心」その原理から起こる大いなる誤謬を膨大な物語を通して丁寧に開き、人間の意識と無意識を興味と好奇心を以て理解へと導き、観念の枠を取り払った先にその正体を見る。視覚で捉えることのできない思考という宇宙の如き壮大で未知だらけの世界を、掌に乗せて見せてくれるようなこのシリーズは、書痴なる店主・京極堂の蠱惑的な書への誘いともなり、浅学な自らの現在地を教えてくれる指針ともなる。再読することの意味と歓びを教えてくれる不朽の名作。

■ 寄り道読書


🔲金閣寺/三島由紀夫
🔲金閣炎上/水上勉
🔲金閣寺の燃やし方/酒井順子

昭和廿五年七月二日の久遠寺牧朗氏の日記に「金閣鹿苑寺全焼す。放火。」と記されていて、今まで何度も読んできたのに特に記憶に残ってなかったことに驚愕。牧朗氏が妻に大切な事を尋ねた日が金閣寺の焼失と同じ日なんて!こんな細部まで作り込んでくれる京極さんが更に大好きに。

これは大好きな三島由紀夫「金閣寺」を読むしかない!と再読熱が上がり、それに続いて最近入手した水上勉さんの「金閣炎上」、大好きな酒井淳子さん「金閣寺の燃やし方」と、とにかく金閣燃えちゃうのねシリーズを読もう。牧朗氏、今までサラっと日記を読み流してしまっていたみたいでごめんなさい。

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