双極線障害の私が司法試験に合格する話(6)ビジョンってなに。
今日もまたストレスの種を見つけた。ビジョンってなんすか。
仲良しさんとお茶をしながら、ちょっと愚痴。
「司法試験合格後を考えろ!と塾の講師に言われるんだけど、それがわからないんだよねぇ。なりたい弁護士像がないし、検察官や裁判官になりたいわけじゃない。私は私がその時にできることを楽しくして暮らしたいだけ。塾の講師のその言葉が私はすごくストレスなんだよね。」
今は、自分にとってなにがストレスなのかを見つけては言葉にするようにしてる。ここに書くのもそうだし、人に話すのもそう。アウトプットをして初めて、自分の思いを知れたりする。今日もそうだった。
あ、私、ビジョンを問われる事がストレスだったんだね。と話しながら気づきました。
でも、仲良しさんと話してみると、私なりのビジョン(といえるかはわからないけど)らしきものはあった。
検察官である父と、並びたい。父がいなければ暮らしていけないと常日頃言っている母に見せつけてやりたい。過保護で育てられていつもなんでも母に先にやられてしまって、私は自分で何かをすると間違っているんじゃないかという気持ちになる。小学校の読書感想文なんかは、必ず金賞をもらっていたけど、母の手直しがあったから。というか書いたのはほとんど母。私は、一言、こんな感じのことが書きたいと言っただけだったから。絵もそう、習字もそう、なんでも全部。大人になってからもそうだった。だから、本当に自信がなくて。母に絶縁された今が大チャンスなんだ。自分で決めて自分の力でやる。そして自分に自信を持つ。そのためのチャレンジなんだ。生活のためでも、ステータスのためでも、お金儲けのためでもなんでもない。これは、自立のため。
これが明確なビジョンなのかもしれない。
仲良しさんが、「それも立派なビジョンなんじゃない?」と言ってくれた。
なんか、とても今、気分がいい。そろそろ寝る時間だけれど、1時間、民法の講義を聞こう。