双極性障害の私が司法試験に合格する話(365)人を信じるということ。
楽しみにしていた約束をキャンセルされた。
それも二人の人からほぼ同じタイミングで。
だけど、1人の人には気持ちよく、「わかりました、また遊んでください」と返事をした。だけど、もう1人の人には「わかりました。」とだけ返事をした。選んだ言葉の通りだ。また会いたいか、もうないか。
人のことを批判する立場にはないから、言葉選びには気をつけながら、書くのだけれど。やはりまだ、怒りというか悲しみがあるから、トゲのある書き方になるかもしれない。それはごめんなさい。
人間誰でも、急用やら気分やらいろいろ事情はある。それは私だってそう。私なんか、気分で動いているから、急用なんてなくても気分で断ってしまったりすることはある。でも、断り方って大事だなって思った。たとえ、その人にそこまで深い心がなかったとしても、相手の気持ちを嫌にさせない断り方を知っていてその方法を用いてくれたということだけで、こっちからしたら、全然オッケーなのだ。だけど、すごく下手というか嫌な断り方をしてくる人もいる。しかもそれを繰り返す。
それでも私は、何かあったんだろうと、快く受け入れようとしてきた。その人を信じてきた。自分の心の違和感には気づかないふりをして、他人を信じてきた。
でも、やっぱり、他人を信じるだけ、裏切られた時の代償は大きい。そして、だんだん、その人を信じた自分を信じられなくなってしまう。
なんか、思った。人を信じるって、他人を信じるって、まずは、自分自身を信じた次のことなのかなって思った。
自分を信じていたら、私は、感情的な人間でたくさんの人と付き合うには難しいって思ってきた。だから、なるべく、自分の心は殺し、たくさんの人の言葉に耳を傾けて受け入れてきたつもりだった。
だからか!私は突然キレたりもするのだ。突然、「イヤだ、無理だ」我慢できなくなってそんな感情が噴射する。他人から見たら、さっきまでニコニコしてた人が突然、怒り出したら怖いよね。もっと、小さな感情の段階で、私は、私の感情を受け入れてあげるべきだったんだ。
だから、他人を信じる前に、まずは、自分を信じる。自分の細かい感情を敏感に受け取って。他人を信じるのは、その次の手順なんだと最近思う。
「また遊んでください」と送った相手は、心のある断り方をしてきてくれた。前々からそうなるかもしれないという事情は聞いていたし、実際そうなったときに、心から謝ってくれた。だけど、後者は、訳のわからない理由をつけて、断ってきた。すごく気分が悪かった。これは、2度目でもあった。1度目のとき、私はすごく気分を害したのを覚えてる。それなのにまた約束をしてしまった。もしかしたら、私に非があって、相手が気分を害して断ってきたのかもしれない。だから、一方的に相手を責めるつもりはないけれど。でも、気分が悪いものは悪い。1度目の感情をしっかり受け止められていれば、2度目の約束はしなかった。こんな気分にはならなかった。
いつもいつも、私は、他人を介して、気分を悪くしてる。それは全部、他人のせいにしてきた。でも、違ったんだ。私自身が、自分の感情に向き合えてなかったから、同じことを繰り返しているだけ。
まだ遅くない。と信じたい。自分の感情を信じよう。もっと、大事にしよう。と思った。
と、やっと大事なことに気づけた気がする。それは、雑に断ってきたあの人のお陰だ。無価値ではなかった。ある意味、よかったのかもしれない。感謝しとこ。