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双極性障害の私が司法試験に合格する話(10)法律学習って絵と同じかもしれない。

 絵を描くこととと司法試験の勉強が似てる感じがした。

 今まで勉強といえる勉強はしたことがなかった。私が今いう勉強っていうのは、つまり、机に座って点数を取るための試験勉強のこと。あの手この手を使ったカンニング技術を駆使して、何とか高校卒業まできてしまったから。暗記とか考える事をしてこなかった。
 
 高校卒業して、社会に出て、自分が常識を知らない事。数を数えられなくて小学生以下だと笑われた事。いろんなことがカンニングをしていたことでマイナスに働くと思いきや、なんか、若さとかいつも笑顔の愛嬌で乗り切れてしまってた。
 
 そんなこんなで社会に出て10年ちょっと経って、自分が勉強ができない事を多分忘れちゃってたんだと思う。司法試験を目指して、勉強をすると決めて1年が経ち、改めて自分の勉強の出来なさに落ち込む毎日。出来ないことに落ち込んでた。どうしてたった30分も机に向かえないんだろうって。当たり前の事なのに。やった事ない事だから。
 
 双極性障害と診断されて、勉強の仕方を変えないと続かないと思って。元々趣味だった絵を再開させた。好きな写真を模写していく。黒く見える髪の毛も、光が当たっているところは、黒だけじゃない。青、緑、グレー、時には、ピンク色で塗ることもある。それではじめて立体的な髪の毛が描き上がる。一つ一つを小さな細胞として別ものに捉えて表現していく。
 
 なんか今日、ふと、その緻密な行為が、法律の勉強に似ている気がした。
 
 さっき、刑事訴訟法の講義を聞いていて、「そんな事いちいち言葉で規定しなくても当たり前なことじゃん!」と思うことがずらずら出てきて。だけど、その後に出てくる当たり前じゃない事案を、その当たり前の前提をいくつか組み合わせて表現したりする。
 
 やばい、面白い。気づいたら1時間の講義があっという間に終わってた。快感だった。
 
 あれ、もしかして、この感じ、絵だわぁ、と思った。そう思ったら、私、勉強できないわけじゃなくてやってこなかっただけだって思えた。
 
 やってきてないからできないだけ。絵は小さい頃からたくさん描いてきた。確実に子どもの頃から画力は上がってる。それと同じ。勉強も時間かかるのは確実だけど、やっていれば絵みたいに上手くなる。
 
 双極性障害の治療のきっかけがまさか、司法試験の勉強に繋がるとは思わなかったけど。
 
 なんか、そう思ったら、無駄なものとか、無駄な瞬間とかって世の中、ないのかもなって思えたりして。 
 
 双極性障害で寝込んでた時間も無駄じゃない。双極性障害を個性とか強みにできるように、絵を描くように緻密に付き合って、積み重ねて最強の自分をつくろうと思った。
 
 でも、絵の後の疲れより、勉強の後の疲れの方が大きい。向いてない事は薄々わかっている。でもやる!

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