双極性障害の私が司法試験に合格する話(376)鬱とか躁のときにできること。
鬱とか躁のときでも、私は好きな絵を描くことと好きな文章を書くことはできる。
この、「好きな」というのがポイントで。そのときに書きたいものじゃなきゃ、書けないということ。その時の気分が向くものしか書けない。だから、鬱とか躁のときは、あらかじめ課したノルマは、一切できない。それをしようとすると、できず、そのできないことに絶望し、余計悪化し、極限まで落ちるか上がるかどちらかに突き抜ける。そうならないために、少しおかしいと思ったら、自分の機嫌をとる。
だから、鬱とか躁のときに、勉強ができる時だってある。司法試験は、文章を書く試験なので、私のやれることに当てはまる。だけど、記憶したり、テキストを読んだりすることは一切できない。さらには、難しいことにぶち当たるとそこから先には進めなくなる。
とにかく、自分の負担にならないこと、頑張らなくてもやれること、ならやれる。
だから、自分の負担にならないようなやれることを、ピックアップした。付箋に書いて、部屋に貼った。
寝る
絵を描く
文章を描く
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植物に水をやる
ダンボールを切り刻む
新聞を折ってゴミ袋にする
計画を立てる
数字の計算をする
近くのカフェにいく
逆を言うと、これら以外のことは、鬱とか躁の時の私にはできない。躁のときは、もう少しやれることがあるけれど、それに期待はできない。躁の方が厄介で、やらなくていいことまでやってしまうから。だから、この中から、何かやることを選ぶようにしている。躁の時、これ以外のことがしたくなったら、危険だということだ。(ま、するんだけど。いらないもの衝動買いしたりとかさ。お腹減ってないのにウーバーイーツ頼んだりとかさ。)
何かがまだできるフェーズからさらに悪化すると、ベッドの中から出られなくなる。以前はそのフェーズに、鬱だなとか躁だなという手前の状態に気づけなかったので、そのまま突っ走って、寝たきりだったり、後悔するような行動を起こして人に迷惑をかけていた。だけど、毎日、記録するようにしているので、もう、今がどんな感じかよくわかる。だから、気をつけることができている限り、多分、もう、寝たきりとかはほとんど、ないんじゃないかなと思う。
今は、躁の感じみたいで。手が震える、自分を天才なんじゃないかと思う、などなど、いろいろなアイデアが浮かんでしまって、勉強に集中できない。一生懸命、机でペン握って、勉強してるのに、頭の中が別のことをしているので、気づいたら手が止まってる。
列挙したことをとりあえずやろう。
ダンボールを切ります。絵を描きます。植物に水をやります。