双極性障害の私が司法試験に合格する話(315)もっと楽に生きよっ。
「がんばる」と褒められる。
「ダラダラしてる」と叱られる。
だから、私は、がんばる。
「がんばる」の実態がよくわからないまま、私は、自分にとって辛いことが「がんばる」なんだと、経験からなんとなく自分なりに理解し、がんばってきた。
だけど、私は、もう自由だ。
誰かに保護されているわけでもなく、誰かのために生きているわけでもなく、誰かを守らなければいけないわけでもない。
私は、私の人生を生きていい。
私が、子どもを欲しいと思わないのは、私自身がまだ子どもだからだ。というか、自分の人生を生きれていないからだ。いつまでも誰かの下で生かされて、受動的な人生だと自分で思いながら生きてたからだ。
絵描きのモネが、「鳥が歌うように絵を描きたい」と言ったというのを読んでから、私は、モネの絵を見たこともないのに、モネの大ファンになった。
そこに全部が詰まってる気がする。のを思い出した。
いつも私は、歯を食いしばっている。数日ごとに、顎の筋肉が痛くなり、顔のマッサージをしている。舌にはいつも歯形がついている。
こんなに食いしばっていたら、歌なんて歌えない。
大好きな桃井かおりさんが、「卵、ひとつ、脇に抱えて」と言っていた。
私の脇には卵なんか入らない。もし脇に抱えたとしてもすぐに潰れてしまう。
とにかく全身に全身に力が入っている。
それを私は、「がんばる」だと思っているみたい。そして、そうすれば、褒めてもらえる、と思っているみたい。32歳のまあまあ大人が、何もせずに、ただ、体に力を入れて、歯を食いしばっているだけ。どんなにポジティブな人でも、それをどうやって褒めたらいいのか、困るに決まってる。
私がいつも死にたかったのは、多分、その「がんばる」を辞めたかったからだ。誰も褒めてくれないことに気づいたからだ。というか褒めてもらっても嬉しくないことに気づいたからだ。褒められたら褒められただけ、さらに私はがんばり続けなくてはいけない。その未来は、永遠に苦しみしかないことが見えて。だから、死んでしまいたかった。
でも、この「がんばる」を辞めたらどうだろう。辞めればいいんじゃないか。モネの見た鳥のように歌って、桃井さんみたいに卵、脇に抱えて、そうやって生きられるなら、それならいいと思った。
そうやって生きたかったことは、昔から願ってたことなのに、それは、また夢の夢として、実現しようとしてこなかった。
もう、「がんばる」のはやめよう。
好きなことに没頭しよう。
好きなことってなんだろう?
私の好きなことは、私の知らないことだ。知らないことを知ることに没頭しよう。
目の前にたくさんのテキスト。司法試験のテキスト。これが今の私の好きなこと。没頭できること。
苦しむ人生はもう終わり。
いつか、苦しみのない人生を、と思って生きてきた。いつか、と思っていたら、いつまでも叶わない。いつかじゃない。今やろう。
鳥が歌うように、卵、脇に抱えて。
さ、やろ。没頭しよう。そこは、苦しみのない世界が広がっているから。