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双極性障害の私が司法試験に合格する話(11)いつでも死ねるからこそ。

 「いつでも死ねるというのは、自分の心が行きたいと願う場所になら、いつ落ちるか分からない吊り橋ですら笑顔で渡れる強みだと思う。」

 これは、今日、もらった言葉。贈り主は、アフリカを長きに渡って取材し続けているジャーナリストの下村靖樹さん。下村さんとは、少し前にユニセフのイベントで知り合って、ひょんなことで、仲良くなって(と言ったら失礼か笑。でもあえて仲良しと言わせていただく!!!!笑)

 私のnote見てくださったみたいで。それでこんなメッセージくださった。

 仕事中にこれ見て、泣きそうになっちゃった。

 ちっちゃい時から、「ああ死にたい」っていうのが口癖、いや、心癖というのかな。口にはあまり出してこなかったかな。言ったら全力で止められるのわかってるし。

 でもその反対に、「私って最高!」って思うこともあって。そういう時は、グイグイ人前に出る。何でも挑戦して、超キラキラしてる。寝なくても平気で、信じられないくらい頑張れちゃう。

 そんな感じで物心つく頃から、躁鬱の兆候はあった。躁鬱の辛さは、なかなか言語化しずらいもので。普段、頭が痛いとか、お腹痛いとか、熱が出たとか、インフルエンザにかかった時なんかより、ずっとずっとずっとずっとしんどい。コロナはどうかな?かかってないからわからない。

 でこれをまた、人に知られないようにするのが大変なことで。そういうことをずっとやってきたわけだけど。もう、隠しきれなくなったので、せめて、隠す辛さからは解放されたくてここで言うに至ってます。

 そんな死にたい気持ちといつも隣り合わせで。ただ怖くて死ねなくて、そんな自分を情けなく思って、自殺していく人たちを見て、自分はそれができなくて、なんて情けないんだろうな、うらやましいなと思ったりしてた。

死にたい理由なんて、何で朝目が覚めたのかを聞かれるくらい不毛な問いで。ただ、ふと、死にたくなるんだから、仕方ないんですよ。どんなに気をつけてても、風邪はひくでしょう?そんな感じです。

 舞台のスポットライト浴びてたくさんの拍手もらってる時も、テレビに出てギャーギャー騒いでる時も、好きな人と幸せな時間を過ごしている時でも、突然私の中の死にたいマンが私に「死にたいね」って囁いてくる。

 そういう死にたい自分だからこそ、出来ることがあるって。思えた。

 「こんな私が司法試験に受かるわけない」ってどこかで思っている節もあるんだけど、またこれ躁鬱の良さで、「受かるに決まってる!」と思っている節もある。下村さんの言葉で、そのどちらの自分とも仲良くできそうなそんな感じがした。

 今朝、3時間みっちり刑事訴訟法を勉強できたので、今日は、この言葉を抱きしめて寝る事にします。

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