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やっかいなもの

人が生きる上で、とても厄介だな、と思うものがある。


最も人の美しさを曇らせるものは、


認められたい
嫌われたくない
私は正しく有りたい

のような思いなのではないだろうか。


それらがないまぜになることで、美しい心がモンスターに変わる。



認められたい思いは、
自分は認められていない、という不足感から生まれる。
つまり、他人から否定されたと強烈に感じた感情から生まれることが多いように思う。

他人と言っても、子どもの自分が生きていくにおいて、多大な影響を持つ大人から、というケースが圧倒的だと思う。


認めてもらえなければ、愛が貰えない。
認めてもらえなければ、生きていく不安につながる。

そんな必死な思いから生み出された欠乏感。

それを埋めるために、他人から認められ続けなければならないと思い込んだ地獄の日々。




嫌われたくないも、からくりは認められたいと同じ。
認められることよりももっと愛に直結しているため、切実でより欠乏感が高まる。

常に嫌われていないか周りを見張って、嫌われないようにあの手この手を使う。

自分の本音を伝えて嫌われては困る場面で、第三者を持ち出してきて人のせいにするようなことが起きる。


あの人はこう思うんじゃないか。
あの人がかわいそうだからこうしてあげよう。

会話の中に、自分の本音とは関係のない第三者が入り込んでいることが多い場合はかなり厄介だ。
すり替えにすり替えを重ねて、自分は素晴らしい人であり続けながら自分の我儘な要望を通そうとして、一見かわいそうな人を守る体で周りをコントロールし続け、本音を誤魔化しながら生きていく。


つまり、
私は正しく有りたい
という思いは、それらを通すための正当化をしたいだけなのだ。



取り繕い続けるうちは、自らの心に平穏は訪れない。

キレイなことにする、
美談にする、

そこから離れて、
一度ひとりになってみること。


スケープゴートを生み出すことができない小部屋でひとり膝を抱えて、
自分だけの世界で自分の本音に耳を傾ける。




やっかいなものが剥がれ落ちた先に、
自分自身を愛して
自分自身を認めて
ただ自分自身が在るだけの、
そんな心の世界が表れるのではないだろうか。

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