倉山満著『誰が殺した❓日本国憲法!』を7回読んでみた感想。R5.9.25
はじめに
この本は、倉山満先生が1年がかりで一人で取り組まれ、初めて世に出した本です。今では倉山工房という優秀なスタッフと共に、読むのが追い付かないほど多くの著作が出版されていますが、それまで学術論文しか書いたことが無い先生が、編集者と共にかなりかみ砕いて書かれたそうです。
斎藤一人さんの本はいつも7回読みし、先日は渡瀬裕哉氏の新刊本にチャレンジしました。倉山先生の著作を七回読みするなら、やはりこの最初に出された本にしようと思いました。倉山塾生と話をすると、しばしばこの書名が出てきます。やはり先生の代表作でしょう。令和5年5月中頃から読み始め、7回目を読了したのは9月末でした。
倉山塾に入塾したのは2019年2月です。憲法を主体に勉強する塾だと知っていはいたのですが、当初は憲法のことよりも、日本の歴史を知りたい、という気持ちが強かったです。当時は大日本帝国憲法、ときくと単純に「コワイ」印象でした。日本国憲法、は、九条を変える、変えない、みたいなイメージしかありませんでした。
その後、私の興味は減税運動、自由民権運動、地方自治体、地方分権へ向かっていたのですが、それぞれの課題を突き詰めていくと、結局は「憲法」に行き着く、ということが段々分かってきました。いつかは勉強しなくちゃ。。。という、少し焦り?のような気持ちもありました。
そんな私が、やっとこの本を読むことになりました。しかも7回笑。そして今、何を思い、何を考えているか、書いてみようと思います。
8月15日からの敗戦が今も続いている
8月15日は終戦記念日、と言われていますが、倉山塾ではそうは言えない雰囲気?がありました笑 なぜなのかなぁ、、、と思いつつ今日まで来ました。この本を読んで、まさに敗戦はこの日から始まり今に続いている、という意味が分かりました。
「総力戦」の日米での意味の違い。
大日本帝国憲法の改正だったはずなのに、全く違うアメリカ”占領軍”案に置き換えられてしまった。そのとき、学者として、日本人としての矜持を捨て、占領軍に取り入った権威者の存在。
その権威(東大、官僚、法曹界、マスコミ、教育界。。。)が日本の隅々に浸透し、それが公に指摘されることもなく、現在まで飼いならされた日本人と日本社会。
権力の無い一国民に対しては、いざというときは何の力にもなってくれない日本国憲法と裁判所。
アメリカとの関係は、その都度、日本国憲法をテキトーに取り扱うことでやり過ごしてきた歴史。
テキトーに取り扱うことで、ますます日本という国としてどうあるべきか、という哲学は消失し、欧米のイデオロギーに歩調を合わせてきた戦後の日本。そのことが、いまだに日本は「敗戦」のままでいる、ということなのではないかと思うのです。
憲政の常道
この言葉の意味も、ずーっとよく分からなかったのです。政治におけるひとつの哲学による方法論。民意によって政治家が選ばれる、つまり、必ず選挙を通して政治家は承認されるものである、という原理原則を守り、従うことだ、と今は理解しています。
確かに、細川護熙氏の日本新党あたりから、ごちゃごちゃしているなぁとは思っていましたが、当時はテレビを見ても、新聞を読んでも、何がどうなっているのか、さっぱりわかりませんでした。この本を読んで、なるほど、政権交代や総理大臣の交代など、ちゃんと「憲政の常道」に従うとそういう手続きを踏むものなんだ、と分かりました。戦後日本は、憲法もテキトーだし、憲政の変態(常道の反対語)が行われていたのですね。だから、なんとなく、日本の政治がずーーーっとスッキリしない、分かりにくいモヤモヤした感じだったのかな、と思いました。
繁文主義と簡文主義 ー「人権」の取り扱いー
大日本帝国憲法は簡文主義。書いてないことが大事。
日本国憲法は繁文主義。なんでも書いておくことが大事。
この違いは大きいです。
日本国憲法は、ある権威者によって「人権」を目的とする憲法になってしまいました。国家統治の手段、ではなく、目的だということは、他の何を犠牲にしてもそれを追求するということになってしまいます。
大日本帝国憲法では、「人権」は文字として書くまでも無く、人間として大切なものだったので、文字にしていなかっただけなのです。
令和5年6月、アメリカのバイデン政権や欧州諸国と足並みをそろえるためにLGBT法が急ぎ成立しました。日本は昔から、同性愛には寛容な国だったのに、です。簡文主義の憲法であれば、このような法律をいちいち作らなくても何の問題も無く、堂々と国際的に立ち振舞える国であったのではないか、と残念です。
LGBT法に限らず、日本の法律は一事が万事、繁文主義で作られているのではないでしょうか。だから、規制が増え続けるのだと思います。
んじゃ、自分はどうする?
今、欧米から主軸がインド太平洋に変わっていこうとしている状況で、日本はどうあるべきか、その哲学、つまり「憲法」を持っていないと、マトモな国から相手にされなくなるかもしれない、と思います。
そのとき、日本に皇室があることは一つの救いです。古事記から日本の歴史を知り、日本人として哲学を取り戻すことがますます問われる場面が増えてくるのではないでしょうか。ブレない哲学があるからこそ、違う意見に対して幅を持って対処することができると思います。
日本における米軍の存在、人権憲法の弊害、など、日本の哲学を取り戻すために越えるべき高いハードルは、自分一人の力ではどうすることもできませんが、たとえばこのようにnoteで感想を発表することも、ひとつの行動だと自負しています。倉山塾や減税運動の中にも生かしていきたいと思います。
さいごに
この本は、東日本大震災が発生した日に書き終わったそうです。日本とは、日本人とは何か、日本の未来を、日本国憲法から考えてほしい、と願って書いた、と序に記されています。
この感想を書いてみて、倉山先生のその願いに少しは応えることができたと思いました。
おわりに、には、この本はある意味法哲学の本であり、読み切った人は哲学者の第一歩を踏み出した、ということだと書かれていました。全くそんな意識なく読んでいたのですが、日本には哲学が必要だ、と思った時点で知らず知らず、そうなっていたかもしれません。
一人でも多くの人が、今の日本において、日本はどのようにあったらよいのかを考えるきっかけになる本だと思います。ぜひ、興味を持たれた方はご一読ください。
補足1 ドラマ 憲法はまだか
2回目読んだときに、なにげにYouTubeを検索したら出てきました。
凄くよく出来ています。そのあと、本に書いてあることがよく分かりました。ぜひご覧ください!
補足2 7回読みについて
斎藤一人さんは、大事な本は7回読むと血肉になるよ、とおススメされます。実際、7回読んでも忘れることはたくさんあります。でも、あーあれはあそこにたしか書いてあったな、と思い出せる感じもあります。
コツは、一回目からあまり根をつめないで、かるーく読み飛ばします。
よくわからないところは、そのままスルーする感じです。
そのとき大事なことは、字が浮きあがってくるそうです。
6回、ではダメなんだ、と斎藤一人さんはいいます。
7,には不思議な力があるんだろうと思います。