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“人として死ねる場所”をつくることと、“生きる”を感じること


次女が産まれる1年半前、私の祖母が94歳で亡くなった。

大往生であったが、幼い頃からずっと一緒だった祖母の死はとても悲しく、想像以上に空虚な気持ちをしばらく引きずった。

しかしそんなことで、私の大切な祖母の命の終わりと、翌年産まれた次女という新しい命の誕生は、命の大切さというところで、私の中で何となくつながることになった。


私にとって祖母とは、
無条件に愛してくれて、可愛がってくれて、親にはできないわがままを許してくれて、
美味しいごはんや昔の知恵を知っていて、
親が使わない言葉や表現をもっていて、
元気なころはめいいっぱい世話してくれて、
やがて老いて、
世話をしてくれていた存在が、いろんなことができなくなり、
病気になり、
怪我をし、
入院したり、
少しおかしなことをしはじめたり、
言葉がしゃべれなくなったり、
私のことがわかったり分からなくなったり、
それでも祖母は祖母で、

そして、大事な人が死ぬということ、
その寂しさを教えてくれた、大事な存在だった。



祖母がもうすぐ命を終えるというときには、当時3歳だった長女と一緒に何度も病院に行った。

苦しそうな姿も、酸素マスクをつけているところにも、娘は一緒にいた。

意識が朦朧とする祖母に私が明るく話かけるものだから、流石の3歳の娘もちょっと引いていたが、亡くなったときには冷たくなった祖母のそばに一緒にいて、焼かれて骨になり、お墓に入れるところにも、娘は一緒にいた。

祖母が死んで私が泣く姿も、長女には包み隠さず見せた。




次女がお腹にきたとき、4歳だった長女にそのことを伝えると、ずっとお腹に赤ちゃんが来るのを心待ちにしていた長女は、飛び上がって喜んだ。

流産のリスクも高いまだまだ初期のころに、伝えたのだけれど。

もしお腹の中で命が途絶えることがあったら、この4歳児がどんなに悲しむかは想像できたけれども、それでもそうなったら、そうなったことも含めて、包み隠さず伝えようと思っていた。

結果的には妊娠は順調に運び、次女は助産院の畳の部屋で産まれた。

産まれる瞬間は、家族みんな一緒にいた。

長女は私の汗をふいてくれたり、水を飲ませてくれたり、懸命に私のそばにいてくれた。

出産で、私がどんなに叫ぼうと、出血しようと、ありのままの姿を長女に見せた。

娘はそれが受け止められる子だと思った。

「ママ、あかちゃんうんでくれて、ありがとう」

産まれた後、そう言ってくれた。




私の仕事は、病院のソーシャルワーカーである。

私のはたらく病院は、療養型病院といって、医療処置の多い高齢者が入院している病院であり、故に人の死に真っ向から向き合うことになる。1ヶ月に10人ほどの人が亡くなるが、ひとりひとりがかけがえのないエピソードと思い出を持っている。
どんな人生を生きてきたのだろう
誰とどんな時間を過ごしてきたのだろう

人生の最終章に関わること、死に向き合うことは、生を見つめることでもある。

私たち職員の役割は、「人が“人”として、死ぬことのできる場所を作ること」だと思っている。

「人として死ねる」こととは、究極を言えばピンピンコロリなんだろうけれど、そうならなかったときに、大切な人に大切に想われながら、大事にされることではないか。

認知症でも、病気でも、そのあるがままを受け入れて、こわくなく、くるしくなく、さびしくなく、感情を持った生きている人間として、最後まで人であり続けながら死ねること、だと思う。




これからを生きる子どもたちに関わる仕事や生活は、生き生きとして華やかだが、死のステージに関わる仕事は、それに比べると地味で重たいようにみられることが多い。

しかし、出産がタブーでないのと同じように、死もタブーではないと思うのだ。

人が産まれること、
人が育つこと、
人が老いていくこと、
人が死ぬこと

子どもたちにも、その「生きる」丸ごとを、できるだけリアルに感じながら育ってほしい。

愛する人が死ぬことはつらいこと。

でも、その死があったから、より新たな愛しい命の誕生は本当に尊いもので、命は奇跡だと思えるように。

命はそうして、生きている者につながっていく。

そうやって、生が続いていく、と思う。




子育てを通して、命を生み出す場所、育てる場所、つまり生きるための場所はなんだかんだいって結構あると思ったが、「人の死に場所」というのは本当にないよな、と思う。

人が「人」として死ねる場所は、日本にどのくらいあるだろうか。

わたしの仕事は、「人が“人”として死ねる場所をつくる」ことである。

6歳の長女は、すでに私の仕事に興味をもち、入院患者さんのエピソードに興味を持って、色々聞いてくるようになった。

子育てしながらフルタイムではたらくということは、並大抵のことではなく、毎日19時を回って、子ども二人と帰宅した自分はもはや消耗しきっていて、カスみたいな残りの体力で、平日の育児をしていると思う。これでいいのかと、正直日々葛藤だらけだ。

しかし、仕事を積み上げていけば、子どもたちが大きくなって手が離れた時も、「自分」として残るものがあるのだと思う。

子育てしながら残せる、自分としての、価値。

とりわけ、私の仕事は『生きる』を丸ごとに感じる仕事であり、私はそれを子どもたちに伝える役割があると思っている。



#はたらくってなんだろう

#生きる

#死ぬ

#子どもに教えられたこと

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