帰ってお風呂の中で右手の人差し指のひだり側面の匂いを嗅ぐ。 ざらざらのひだり側面に西さんのタバコの煙が染み込んでいる。 この匂い、今までの人生では無縁だった。 タバコだけは絶対吸うなという両親の言葉をそのまま受け取り過ごしてきた。けれど初めて西さんがタバコを吸う姿を見て、なんて美味しそうなんだろうと思った。 私は 自由 私は 生きてる 私はマスクを2枚して、鼻にギュッとマスクを押し付ける。 左手でタバコを西さんの口に入れ、そのままタバコを軽く支える。 右手
ピアノのレッスン中、曲の途中で間違えて、 弾き止まってしまう私に、先生は 「音楽は止まらないんです。ずっと流れていくものなんです。間違えても止まらずに弾き続けて」と教えてくれた。 いい言葉だなと思った。
ピアノを習い始めてから半年が経ちました。 なんでもそうですが、何かを始めると、楽しさと、小さな壁が交互に現れるように感じます。 年末にピアノ教室でクリスマス会があり、小学生の生徒さんにまぎれて「となりのトトロ」を弾きました。今ってyoutubeであらゆる映像が見れて便利ですね。久石嬢さんが弾くしっとりとした映像を見ながらイメージを膨らませました。イメージだけはたっぷり、、、 しかし本番、途中から手が震え、自分が思っていた以上に身体が緊張してしていて、家で弾くトトロと全然違い
音楽に関わる撮影というのは楽しいものです。 けれど、自分が撮ったライブの写真を見ながら、まるで音が聴こえないと残念に思ったことがありました。最近のデジタルカメラは感度がどこまでもあげられるため、オートで撮ると全然ブレず、ピントがバッチリ合うので、動きが感じられないというのも原因です。 あんなにも感動的だった音楽が写真に写っていない、感じられないのはショックでした。音楽を演奏する側の気持ちがわかったらもっと良い写真が撮れるのでは?という考えのもと何十年かぶりにピアノを習い始
昨日の夜は、たくさんの人が書いたクリープハイプの最新アルバム 『夜にしがみついて、朝で溶かして』のライナーノーツを布団の中で読んでいた。 自分と同じようにクリープハイプへの溢れる愛をもった人たちの言葉を読むと、止まらなくなって、なんとも温かい気持ちになった。みんな凄く深く言葉を綴っていて感動する。アルバムを聴いて、聴いている人たちの言葉を聴いて、布団の中でファンの人たちと忘年会をしているようだった。寝ないとと思って携帯を置いたけれど、中々眠れなかった。 私がクリープハイプに
「(人生)愛とか夢とかだけじゃないでしょ、もっと身の回りのこと、歌わないと、、」 昨日のライブの終盤、奇妙さんはそう言って、カップ焼きそばの湯ぎりに失敗した歌を即興で歌った。ボコって大きい音がシンクに響く、歌。 はるか前、福島の温泉フェスのお座敷で浴衣姿で、酔いに酔った奇妙さんとみんなで「犬のおまわりさん」をコールアンドレスポンスしたことを思い出した。 長く印象に残っていることって、脱線した部分なんだよな。 それにしても凄かったなあ 終わって外にいた本人に感想を言ってい
長久さんの舞台が中止になってしまい、深い部分の落ち込みが消えないまま過ごしている。ほんとなら今頃完成した舞台の余韻に浸っていたんだろう、とか、どんな舞台だったのか、とか考えても仕方のないことが頭の中をぐるぐる回っている。少ししか関わっていない自分でさえこんな気持ちなのだから、監督やみんなどんな気持ちなのか計り知れず、その気持ちを想像してまた沈んでいく。ボロボロになった台本や毎日稽古の様子を夢に見てしまうというツイートやそれでもみんなどうにか気持ちを動かしながら生きているんだろ
どしゃ降り、雷 ビニール傘は3回くらいみごとにひっくり返り、弱撥水性の上着はどんどん水分を含んでいった。傘を首と手で支えながら、自転車を漕ぎ、夕焼けが薄く明るい部分のある空から降る夕立の中、息子と父が濡れてないと良いなぁと願った。 風に煽られ車にぶつからないよう注意しながら高架下に入る。 自転車を片足で支えながら、家に入るとできないであろう仕事の電話を折り返した。 あたたかく、久しぶりに聞く人の名前に撮影風景が蘇る。 電話を終えると、真っ直ぐとわたしを見つめる父と同い年くら
ずっと前に牛角に行ったとき、帰りに会計をする父が定員さんに向かって「ここはユニクロの系列店なの?」と聞いた。「え、違いますけど」と戸惑う彼に「だって挨拶の仕方が同じだよね」と父は答えた。 自分の仕事が最高だと思うのは今日みたいな日で、前日の緊張があればあるほどそこから解放された翌日、特に急いでやることもなく、土日でなく、天気が良い。 テンションの高さを保ったまま小洒落たちょっと好きじゃないけど、2階に上がると電源もあり、光があるカフェにくる。 「いらっしゃいませこんにちは
きょうはあめまつりだねぇと息子が言った。 あなた素晴らしいよ、と感心してしまう。 車内からビニール傘がひっくり返っている人を3人は見た。 外を歩き、激しい雨風と戦いながら、おさるのジョージに出てくるジョージの友人くんだったら「こんな日は、家でゆっくり本を読むのが一番」と言いそうだなあと考えていた。彼のコメント的を得ている。なのにわたしたちは外に出たい。 息子が納豆巻きを食べたいというので適当な回転寿司に入る。すみませんと定員さんを呼ぶと日本語がまだよくわからないスタッフの人
家族の受験への景気付けにデリバリーでうなぎを頼んだら、いつになっても届かなく、確認すると配達済みになっていて、どうやら配達員が食べてしまったらしいという話を聞いた。友達がバイトで下げたうどんか何かの汁を耐えきれず飲んだというカミングアウトは大昔に記憶にあるけれど、そんなことがあるのかと驚いた。 『今』を生きている配達員の行動はもしかしたらとてつもなく深く笑えない話かもしれないし、逆におふざけかもしれないけれど、それでも配達員はクビにならないらしい。 わたしの父は近所の人さま
父に息子のお迎えとご飯を頼んだ日は、帰るとフローリングがざらざらしている。父の定番かつ息子の最も愛するイカとホタテとアサリの煮物を、鍋を床に置いて、息子が醤油、酒、みりん、砂糖を入れるのを手伝い二人で料理していたのだと思う。そして毎回砂糖がこぼれている。そしてそのまま。床に鍋を置くのを止めて欲しいと言っても、聞かない。 帰るとテレビの前のだるまに白眼が追加されて描かれていた。 前に息子が父がダルマ市で買ってきただるまの片目を真っ黒に塗りつぶしていた。 父は黒眼だけなのが気に
キノウ、着付けの方に「わたしは道歩いてると着物着てる人、気になって見ちゃうんだけど、写真やってる人はどういう視点で道歩いてるの?」と聞かれた。普段、危険そうな人が周りにいないかは気にして歩いている。 「人や物っていうより、きれいな光をみて良いなーとかですかねー。」 「ああそう〜」 「この前の道夕日きれいですよねー。テレビ観てても着物気になりますか?」 「あああれきれいだった、前になんかのお酒のCMで高島礼子さんが着てた着物、すっごくきれいだった。」 キョウ、銅版画家の浜口陽