いらっしゃいませこんにちは
ずっと前に牛角に行ったとき、帰りに会計をする父が定員さんに向かって「ここはユニクロの系列店なの?」と聞いた。「え、違いますけど」と戸惑う彼に「だって挨拶の仕方が同じだよね」と父は答えた。
自分の仕事が最高だと思うのは今日みたいな日で、前日の緊張があればあるほどそこから解放された翌日、特に急いでやることもなく、土日でなく、天気が良い。
テンションの高さを保ったまま小洒落たちょっと好きじゃないけど、2階に上がると電源もあり、光があるカフェにくる。
「いらっしゃいませこんにちは〜」
声高らかなに響くこの感じが嫌いポイントなのにと思いながら、前の二人がなかなかメニューを決められないでいるのを「早くー」と思ってそうな定員さんの顔を眺める。自分の番になって、一定のリズムをもった会話の後、ぴったり払ったのを忘れお釣りを待っているわたしに「え?」みたいな顔。「え?笑」ではなく「え?なに?!」みたいな。
このマニュアルから外れたことがあった場合の「いらっしゃいませこんにちは〜」の明るさと素の表情との温度差に、
やっぱりこの店好きじゃない、、と感じてしまう。
トッピングの「こんにちはー」は要らないので「ぴったりもらってますよ」にニコッをつけて欲しい。というか心のままで良い。
ちょっと好きなお花やさんは電車に乗って15分ほど。
お花のラインナップが好みですごく安い。そこにいる定員の人はいつも一人で、毎回違う人なのに、どの人も愛嬌が無で、ノーいらっしゃいませ&話しかけてはいけないバリアを感じる。お花の茎に巻く水分などもなく、この料金設定だから、会話も水分もございませんなのか。結構極端だなあと思う。
その隣の八百屋さんは最高で安く新鮮。お会計のやりとりでこの野菜どうやって食べたら美味しいですか?と聞くと次の人にも迷惑がかからない程度にさっと良い答えをくれ、良い気分で帰れる。
人柄人間味
カメレオンのように、自分が周りの人の口調に似てきているのが嫌でたまらない。このままいくと自分ではないもう一人の自分が生まれそう。
それが憧れなら良いけれど、そうではなさそうで
あたたかくなったから またいつもの衝動で 環境を変えたくなってしまう
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