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言葉にできないものにこそ、本当の価値がある。
ここ数日ずっと頭をぐるぐるしている言葉である。
「あなたの強みはなんですか?」
「御社が選ばれる理由はなんですか?」
こう言った問いにきちんと答えられる人は少ない。
きちんと説明できる事は他者と差別化すると言う意味で価値があるが、
ちょっと説明するくらいで、
相手が「ああ、そう言うことね。」となる強みは本当に強いのだろうか。
相手が安易にイメージできるとすれば、
それはすでに世の中に出回っている価値観で、模倣可能性が高い。
「グランメゾン東京」と言うドラマが面白くて見ているのだが、
主人公のムキクタがシェフを務めるレストランの見習いが、
金をもらいライバル店にレシピを提供していたと言う話があった。
見習いは反省し、そのことをムキクタ達に話し土下座して謝る。
ムキクタ達はその様子を見てクソワロい、
「このレベルの料理になると、レシピが渡ったくらいじゃ真似できねぇんだよクソボケ」みたいなことを言う。
何を、どの分量で、どのように、どのくらい調理するか。
こういったレシピに書かれるようなものは、観察すれば誰にでもわかる。
誰にでもわかると言う事は誰にでも真似できると言う事であり、
もしレシピが強みだとするのであれば、その店はすぐに潰れるはずだ。
「その時の食材の状態や日々変わる天気により微妙に調理法を変える。」
これが真似できない理由だとドラマでは言っていた。
確かにこう言った事は目で見てわかることではなく、
数値化するにもなんだか大変そうな強みである。
グランメゾン東京を見て、あぁなるほどと思った。
一見ものすごく複雑に見えるものや、なんだか大変そうなもの、
これこそが本当の価値なんだなぁと。
ドラマで言えば、これを実現するのが料理人の腕や経験であり、
おそらくそれは非常に感覚的なものであると思う。
だから「説明できない」と言うことを単純に悪だと思ってはいけない。
説明しようとする努力は大切だが、説明できないことを嘆く必要はない。
自らはクリアに理解しているが、他人にはなんだかよくわかんないと思われる。
これこそが本当の価値なのだ。
美女に「私のどこが好きなのぉ?」と聞かれ、
正直な答えがわがままボデーだったとしよう。
いや流石にそれを言ったらヤバい。きっと変態扱いされてしまう。
どうしようと言葉に詰まったときはこう言うのだ。
「言葉にできないものにこそ、本当に価値があるんだよ。」