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71 古書店で本を買う
ふと立ち寄った古書店で物色する。
何か面白いものはないかと棚を見るのだが、どうも背表紙の文字に集中できない。視力というよりも精神の問題で、特別心当たりがあるわけでもないがどうも気がそぞろな感じがする。
少し動悸もする。
蝟集した本がひとかたまりの壁と化してしまって、一冊ごとに分かれてくれないらしい。手で触れてみると確かに一冊ごとの本らしいのだが、目はそれらをひとつひとつ分けて見ることを拒んでいるようだった。やがてこの現象自体に興を感じて、構わず壁の模様を見てまわる。
そうしてしばらく見ていると、ぼんやり溶け合った本の壁のなかに徐々に鮮明に像が結ばれてくる箇所があることに気づいた。雲の切れ目から晴れ間がのぞくように、そこだけが何やらクリアーに見える。見れば見るほど鮮明の度合いは増していく。やがて気づいた時には、繊細な竹ひごで組まれた小さな籠がそこにあらわれた。
これは何だろうと、思わず手に取ると、鈴のような錫杖のような音が凛とひとつ響いた。なるほど、虫籠らしい。籠のなかをよく見ると、水に浮かぶ油膜のような虹色に輝く小虫が二、三入っている。普段虫など飼おうと思ったこともなく、また実際虫を飼うなど遠い異国の出来事のように実感を欠いていたものの、なぜだか手放すことができないまま、ふらりとレジまで来てしまった。
三五〇円です。
と、意外なほどの安値を告げられて得をしたような気になりはしたが(というのも虫籠だけでも相当な細工物のように思われたのだった)、そもそもの疑問が思わず口をついた。
これは虫ですよね。
言ってから、少々間の抜けた質問だったと思い返したのだが、若いアルバイト風の店員は言った。
本です。
え、本なのですか。
聞き返すと、さらに言った。
ええ、本ですね、読み物です、うちは本屋ですから。
ああ、なるほど本ですか。
と、納得して店を後にする。