ピンクとキラキラを愛せなくたって。
スナイデル、ジルスチュワート、ウサギドットコム、レディーアゼル。
女の子を女の子らしく見せてくれるお洋服。
あとは、カフェとかテーマパークとか推しを追いかけたり、ネイルしたり。
ニュアンスカラー、パーソナルカラー、骨格タイプに、MBTI、韓国美容旅行、Francfrancの家具、流行りの可愛いマスコットキャラクター。
女の子の好きな、女の子の生活のピースのひとかけらひとかけら。
その全部がどうしても自分という型にハマらなくて、
でもそれじゃダメだってどっかでわかってて、
たまに自分で無理しても何も楽しくなくてまた逃げて。
そういうことを繰り返してとうとう28歳になった、限界アラサー独身女が、この私である。
別に、キャリアウーマンに憧れてたわけじゃない。
私は本当は地元の九州に帰って教師になって地元の男と結婚して、子供を産んで、28歳の頃には2児か、3児の母になっている予定だった。
それが、なぜか未だ大阪に残って向いてないながらもボロボロとミスをしながらも何故か大企業でOLをやり続けている。
それも未だに独身である。
働き始めて自分で金が稼げるようになると、
好きな服を買った。
好きな本を買って読み耽った。
映画館に通った。
それなりに幸せだった。
当時遠距離をしてた香港人の彼氏ともなんだかんだでうまいことやってたし。
私はそれなりに幸せだったけど、
彼が来日した時に、道をゆく女の子を見て私に視線を移して言った。
「蒼子もあんな格好すればいいのに。」
その女の子は、
体にぴたりと張り付く今流行りのワンピースを着て、ジルスチュワートのトートバッグを下げたロングヘアの女の子。
その瞬間夢から覚めたような、
頭の上から冷水をぶっかけられたような気持ちになった。
そうだった!
私って、可愛い、ってわけじゃなかったな。
でも、可愛いって何?
メイクはデパコスで揃えて自分なりのこだわりを持ってたし、
服装だって好きなものを買って着てるだけで。
私の好きなお洋服が、女の子らしい服じゃないだけ。
あの女の子が着てる服より、私の着てる服は高いものよ。
別に高けりゃいいってわけじゃないけど、
私なりの物語を載せてこの服を着ているのだけど、きっと君はそんな物語に興味はないよね。
ポールスミスのコートのポケットに突っ込んだ拳を握りしめてそんなことを思った。
ずっとこうなんだろうか。
ずっとずっと、ああいう普通の女の子になって。
可愛いカフェとか、そういうものにキャッキャと笑ってれば。
「そんなふうに斜に構えて馬鹿にして。
やってみたら案外楽しいのよ??」
って何回も言われてきたけど、
流行りの服を着た自分は自分じゃないみたいで嫌気がさすし、
ニュアンスカラーは燻んだ色で見てるだけで暗澹とした気持ちになるし。
テーマパークの世界観は極彩色な中華都市と違って私の心臓をぶち抜くことはできなかった。
こういうもの一つ一つにキャッキャと喜んで、
一つ一つ小さな幸せを積み上げて、
自分の心地の良い小さな世界を作り上げていければ、きっと私も今頃幸せになれてたんだろうか?
私だって頑張らなかったわけじゃない。
他者の価値観に寄り添うために努力を惜しまなかったし、マーベル映画や苦手なホラーだって見に行った。
でも、相手側がウォンカーウァイややチャンイーモウに寄り添ってくれることはついになかった。
流行りの服を着て出掛けてみて、
「今日の服いいね!」
って言われたってショーウィンドウに映る自分が大嫌い。
そして、不毛な戦いを一度はやめて。
中華世界に逃げ込んで、
また少ししたら「これじゃいけない」ってまた無駄な努力をする。
その繰り返し。
極論を言えば、アジアの男が好きになる女のタイプは皆同じである。
中華圏の男がいかに私を前に綺麗事を言おうとも、
その実彼らが典型的な日本女子を望んでることを私はわかっている。
ピンクやキラキラを愛せない女で、ごめんなさい。
行き詰まって深夜、捕まえた路上の占い師に、
「私の恋を占ってくれ」
と、頼んだら。
「あなたは男を背負って生きていく女」と言われた。
体は女でも心は男だから、
女の幸せは手に入らないけれど、男として大成するのだ、と。
じゃあ何?
私は一生男みたいに社会と殴り合わないといけないのか。
今のところ殴られっぱなしだけど???!!!
緩やかに守られることなく、最前線で戦っていかなきゃいけないのか。
ガツンと殴られたような気分になったけど、
存外スッキリもしていた。
別にそれならそれでもいい。
でもそうであれば、もう。
女の子辞めさせていただきます。
お洋服はスナイデルやジルスチュワートじゃなくて、
ポールスミスやtheoryやバーバリーで買わせていただくし、
テーマパークに行くお金は中華渡航に使うし、
カフェ代は酒代に代えさせていただく。
好きなこと、好きなだけして。
行き着くところで生きていく。それしかもう無理なのだと、思うとホッとした反面悲しくもあった。
普通に。
ピンクやキラキラを愛し、楽しめる女の子になりたかったな。
馬鹿にしてるってまた怒られるかもしれないけど、そんなことない。
みんなが好きなものを好きということは、
より多くの人と楽しめるということ。
私はみんなが好きなものを愛せなかったから、孤独の底まで叩き落とされたのだ。
本当はね。
大学生くらいの時に、彼氏と同じペアルックとかしてユニバとかいってみたかったかも。
今この瞬間に、ジルスチュワート着てイルミネーションに行かなかったことをいつか後悔するかも。
でも今この瞬間の私は、ポールスミスを着ることを望んでいて、ピンクのワンピースよりもシックなスーツを望んでる。
miumiuやプラダのバッグよりもモンブランの万年筆を愛している。
そこで、いつだって自分の好きを優先してきたからこそ、私はいつだって限りなく自由で。
いつだって孤独なのだ。
自由と孤独は表裏一体。
この自由さを支えるのは底なしの孤独であり、
この苦しくも寂しい地獄を私は葛藤しながらも愛している。
可愛い女、にはなれそうもないが。
せめて、男として死ぬまでこの社会でのたうち回ってやる覚悟はある。
その路上で、女を背負えない女でもいい、と。
心の底から言ってくれる人がいればその時は絶対に手を取って。
私はこのまま私のペースで、
私の好きな私を選んで生きていく。
今更、自分を変えられないし軌道修正も無理だろう。
ピンクやキラキラを愛せなくてもいい。
ディズニープリンセスになれなくてもいい。
ありきたりな幸せなんていらない。
いくところまで行ってやる。
その先が地獄だろうと、全て自己責任。
だけど、自分の人生はなんとなく明るくて上手くいくという細やかな確信だけが私の人生を爛々と照らして次の一手を止めさせないから、私はきっとこの先も大丈夫なのだ。