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コロナ禍国際遠距離恋愛の話。

私は2020年から2022年までの3年間の記憶を失っている。

28年の人生のうちの3年間の記憶がほとんどないのである。

人間は、本当に辛いことは忘れてしまうという俗説なのか科学的根拠がある話なのか。

私がこの3年間の記憶を失ってしまった理由について、今日は話したい。

今年の夏は暑かった。

結果エアコンをつけっぱなしにして盆中はダラダラと怠惰の限りを尽くし、冷やしすぎた部屋の中で情けなくも風邪をひいた。

咳と鼻水が止まらなくなったけど、
夏風邪なので出勤することにした。

流石に鼻水をダラダラさせながら仕事するのもあまりにもカッコ悪いので、マスクをつけて仕事に行くことにして。

それがもー、あんまりにも暑くてくらくらと眩暈がした。

「こんなにしんどかったっけ?」

マスクをずらしてコンビニで買ったお茶をごくごくと飲みながら。


はた、と2年前に思いを馳せる。

2020年から社会人になった私は、
最初の4年間は営業マンとしてガリガリ外回りをしていた。

もちろん取引先はマスク必須だったし、
あの頃は、電車の中でマスクをつけてないとこの世の敵のような冷たい目線を向けられたものだった。

だから、2020年の夏も、2021年の夏も、2022年の夏も、外回りをしている時はマスクをつけていたはずなのに。

どうしてそれがこんなにしんどいかを忘れてしまっていたのだろうか。

思い返してみれば、三つの夏の記憶がどんなに思い出そうとしてもゴッソリなくて、あの3年間の間にこの身に起きたことは本当にただ事ではなかったのだと思った。

私は2020年から2022年の11月までコロナ禍の国際恋愛をしていた。

2020年3月18日に香港が新型コロナウイルスの防疫対策のために入境制限を発表。
それを追うように日本も入国制限を発表した。

それまで開かれていた世界の扉が次から次へとバタバタと閉じていくことを目の当たりに茫然としていた。

この当時私には、香港に住んでいる香港人の恋人がいた。

この両国によるこの入境制限は、私と彼が会えなくなることを意味していた。

それまでは2ヶ月に一回会いながら、いつか一緒に香港で暮らす準備を二人三脚で進めていた私と彼は、結局このあと2020年の1月14日から2022年10月27日までの1017日間一度も会うことができなくなった。

最初の1ヶ月は、何も悲観しなかった。
すぐに国境は開き笑い話にできると思ってた。
次の1ヶ月も楽観的に構えてた。
3ヶ月目になって突然涙が止まらなくなった。

最初は数ヶ月程度の一時的な措置だと思っていた入境制限も延長に延長を重ねるニュースが出るたびに声が枯れるほどに泣いた。

そのうち、Twitterに登録しておんなじ思いをしている人と繋がるようになった。

韓国、ベトナム、アメリカ、フランス、チェコ、中国、イギリス、台湾、ドイツ、インドネシア、マレーシア、オーストラリア、、

ありとあらゆる国と国に引き裂かれた人々の悲鳴がsnsに充満していた。

7年来の恋人と喧嘩をしてしまって、仲直りのために渡航しようとしていたところで国境が閉まって、オンラインの話し合いではうまくいかなくて。結局ごめんなさいもさよならも言えないままに終わってしまった人。

兵役で2年近く会えない日々を過ごして乗り越えて、やっと会えるところで国境が閉まってしまって茫然とする日韓カップル。

ワーホリビザで来日する彼女と一緒に暮らすために二人で住む家を契約していたのに、突然始まった入国制限によって二人用の家賃を払い続ける人。

全ての人が生きる目的を奪われて、絶望していた。

学生同士のカップルは、日本帰国時の14日間の隔離を呑んで、相手の国に飛び込んで行く人もいた。

でもそれを羨ましく見つめながらも、私のようなサラリーマンにはそれは到底できないことだった。

香港のケースを挙げるなら、
香港に行けたとしても21日間の隔離が必要で、
日本に帰国した時も14日間の隔離が必要であれば、少なくとも35日間の有給が必要だった。

しかし向こうでたった数日でもデートがしたければこれは40日の有給が必要で、新社会人だった私には到底無理なことだった。

それでも、キャリアを投げ捨てて多くの人が渡航を選んだ。

私だって、香港のワーホリビザや、大学院進学、就労ビザ、ありとあらゆる今入国できる手段を探った。

彼を日本に呼び寄せることも考えた。

だけど、

「もしもこれがコロナ禍ではなかったら私はこんなことしたかな?」

と、立ち止まった。

当時働いていて今も働いている企業は、就活生の時に死ぬ思いをして勝ち取った大企業の内定の先にある世界。

なぜ、最初から大学卒業後すぐワーホリビザや大学院進学をしなかったのかと言えば、

自分には、日系企業でしっかり足場を固めながら世界で戦えるキャリアウーマンになるという夢があって、それを叶えられる土壌がある企業を選び、入社することにしたという経緯があったからだ。

中国や香港で現地採用として働く方や日本語教師として働く人たちが現地目線で頑張って働いているのも魅力的だと思ったけど、権限と決定権をもって盤石な地盤を固めて現地に乗り込む駐在員の人たちに自分もなりたかった。

そのためなら、6.7年の日本での下積みくらい耐えてやろうと思っていたのだ。

もしも、今香港にワーホリビザや学生ビザで渡航したとしてももう一度今の企業で働けるかと言えばそんなことはないだろう。

手にしたチャンスと走り出した道を、入国制限という誰かの決めたものによって手放すなんて、誰かの手のひらの上で踊らされてるみたいで悔しくて、ムカついて、腹が立って、泣きながら。

「ちくしょー!」

と叫んで、偉大なる防疫政策の成果を誇示する簡体字のニュースで溢れかえるスマートホンを壁に向かって叩きつけた。

何一つ、コロナに、政府に、奪われてなるものかと思った。

#愛な観光じゃない

という言葉がsnsでシェアされた。

これまで観光ビザで再会していた国際カップルたちが、「愛は観光なんかじゃない」というメッセージで欧米圏で#loveisnottourismで拡散されたものが日本語にも訳されて私も何回もこのハッシュタグをシェアし続けた。

会いたいんだ。

会って手を取って話してハグして。

そういう普通のカップルができてることをやりたいだけなんだ。

観光なんかじゃない。
生きる意味なんだ。

でもうまく言葉にできなくて、

「このご時世恋愛なんて!」って言葉でいつも握りつぶされる言葉と思いを歯痒く思った。



たかが恋愛。

恋愛ごとき。

日本だけじゃなくて、このアジアにはまだまだ恋愛は浮ついたもので娯楽や贅沢品に該当すると考えている人は本当に多い。

我慢や忍耐を美徳とする伝統や空気もある。

それでも、この先どんな世の中に生きていくのかを考えたら、もっと人間を人間たらしめる感情を大切にしたいと思う。

人間から感情をとって何が残るのか。

感情的という言葉が悪い言葉として使われるようになって久しい。

でも、感情を抑圧して迎える未来は何?
自分の感情を殺して、
お家のために、
ご先祖さまのために、
国のために、

自分で人生の伴侶も選べない時代に戻りたいのか?

私は嫌だ。

外国人と恋愛するならその覚悟をしろ?

私はその時世界に向けて掛かっていた橋を渡り、そこで愛する人を見つけただけ。

そんなことを言う人は、橋を渡る時に自分の渡ってる途中で橋が壊れて自分が落ちても、
「そこまで考えて橋を渡らなかった自分が悪い」
と言えるのだろうか。

全ての自己責任論に言えることだけど、

いつ自分がマイノリティに転落し、
自分の大切なものが自分の手から取り上げられてしまうのかは本当にわからなくて運次第。

だから、安易に人の困難に自己責任を突きつけるのは金輪際やめよう、そういうことをぼんやりと思った。

連携をとるはずだったsnsも日々荒れに荒れた。

無謀にもあったこともないオンライン恋愛の果てに韓国人の彼氏に会うために渡航する人もいた。

それを叩く人もいた。

日韓カップルに粘着して、別れるに決まってる、とか今すぐ渡航しないのは自己責任だ!と豪語するアカウントを遡れば、彼女自身もコロナで韓国人の彼氏に振られていたことがわかったこともあった。

当時私は24歳だったけど、
当時33歳だった女性が大好きだった仕事と苦労して手に入れた外資系企業の高いポストを投げ捨てて、泣きながらオーストラリアに飛んだ気持ちが今ならわかる。

会いたくて、結婚したくてとんでもないベトナム人を配偶者ビザで日本に呼び寄せた結果その家族まで抱え込む羽目になって絶望してる人もいた。

お互いを知る機会が入国制限によって十分に取れなかった結果、配偶者ビザで呼び寄せた結果DVに遭って離婚しようにも同意が取れずに苦労している人もいた。

会いたい気持ちに任せて渡航して、結果別れてキャリアもお金も失った人もいた。

日米で遠距離恋愛をしていたゲイカップルは、
この状況下で配偶者ビザを取る手段すらなくて、
結局計画を変更してアメリカに渡航せざるを得なくなった。

彼の恋人は彼のために日本に就職先も確保して、彼らはこれから日本で生きていくはずだったのに。

会いたくて、苦しくて、死にたくて。

多くの人がそれぞれの決断を迫られて、せざるを得なくて。

次々と消えていったり、更新が止まる仲間のSNSを見て、悔しくて辛かった。

私もSNSで多くの発信をして、多くの暴言に晒され、多くの暴言を言い返して。

多くの人から傷を負い、多くの人に傷を与えてしまったと今ならわかってる。

たくさんたくさんの苦しい思いが溢れた時代を、
忘れていってる自分はあの夏の暑ささえもはや記憶から消し去っていることに気がついたから急いで覚えてることを書き出してみた。

自己責任蔓延る世の中は、
今日も不幸な誰かに自己責任の印籠を突きつけて無責任に論破した気になって憂さ晴らし。

だけど、いつ自分がそちら側に転落するかはわからないし。

そのことに気がつくのはいつだって自分がそちら側に追いやられた後なのだ。

コロナが3年の時間と数えきれない涙と引き換えに私に教えてくれたことは、案外捨てたもんじゃなかったと。

自己責任が闊歩する世の中を目の前に夏の空の下思って、情けなくて笑って。

ペットボトルの中の茶を全て飲み干してまた何事もなく歩き出す、そんな残暑まだ厳しい9月の昼下がりのこと。

今日の話はこれでおしまい。


おまけ。

当時書いたもの。
今回の記事にもこの一部を引用しました。


そして、残念ながらこの彼氏とお別れした時の記事も貼っときます笑笑

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