284番目からみた未来
誰か1人、抱きしめてもいいならば、
高校三年生の私を抱きしめてあげたい。
と、28歳になって高校卒業してちょうど10年経った私は思う。
私はとある九州の田舎で生まれて育った。
公立の中学校では450人の同級生の中で成績は10番に入って、堂々とした顔でその県で1番の進学校に入学した。
医師である父も薬剤師である母もその高校を卒業して、地元の国立大学でしっかり学び、職につき私を育ててくれた。
私もそんな未来を歩めると信じて疑わなかったものの、、、入学してみると私は中学生までは勉強ができると言うことがアイデンティティだったのに、勉強ができる生徒が県内からぎゅぎゅっと集まったその高校ではなんと中の中どころか中の下だった!!!
とにかく巻き返そうと頑張ってみたものの、
成績はなかなか浮上せずあっという間に高校三年生。
進研模試でついに理系を選択した320人の生徒のうち叩き出した順位が284番。
320人全員が受けてたわけじゃないと思うから、多分私は受けた生徒の中ではだいぶんやばい仕上がりになってたんじゃないかと思う。
勉強は頑張っていた。
すごくすごく頑張っていたけど、どうしても頭が追いつかなかった。
そもそも私は文系脳で理系選択をしたこと自体間違っていたのだと、今の私ならわかるのだが、就職先も乏しい田舎では看護師か教師か公務員などのみんなが知ってる仕事を目指す生徒が多かったのと、両親が理系の資格職なのでこの時私はそれ以外の未来を描くことができなくて。
本当は文系の科目が好きだったくせになんとなく理系を選んでドツボにハマっていたのである。
がしかし、これも全て10年経っていろんなことがわかった今だから淡々とかけることで、当時の私はこの284という数字にいよいよよろめき、自我は崩壊寸前。
本当にプライドも何もかもズタボロになり、どうやら自分は何処の大学にも受かりそうにない、、と思い詰めてしょげかえっていた。
未来は全く描けなくて、10年後の自分が何をしてるのか真っ暗でどうすればいいかわからなくて。
教師に相談に行っても、勉強しなさいの一点張りで。
根本的解決には至らなかった。
三者面談でもこの284番という数字は議題に挙げられ、すっかり憔悴しきった私に母親は戸惑いながらも、「そんなに焦んなくても浪人もできるし、、」と優しい声をかけてくれてそれがまた惨めだった。
母や父は地元の国公立の医学部や薬学部を卒業していて、私が284番を取った模試でも常にトップ20は死守していたのを私は知っていた。
どうして自分はこんなんなんだろう、と尚のこと殻に篭って、夜になると未来が不安で眠れなかった。
結局私は現役では大学に入れず、
浪人して逃げるように関西にある私立大学の文学部の国文学科に入学した。
ここで国語の教師の免許を取って、地元に帰って教師になる。
というキャリアプランを胸に始まった大学生活の1日目に見上げた空がなんとも狭く狭く感じたのを今でも鮮明に覚えている。
収まるところに収まっていく人生。
そんなことをぼんやりと思った。
そんな気合の入らない学生生活も2年目に入る2回生の前期に、私は第二外国語として選択していた中国語の単位を落とした。
3回生から教職も大変になるのに。
大量の教職の単位を取らなきゃいけないのにこれに中国語の再履をトッピングするような真似はなんとしてでも避けたかった私の目に飛び込んできたのは、大学が毎年夏休みに中国の天津にある大学と提携して実施している3週間の中国体験留学の立看板だった。
なんと、これに参加すると2単位もらえるらしい!!
こうして私は落とした中国語の2単位を拾い上げるために夏休みを中国で過ごすことになったのである。
2016年 8月。
北京の空港に降り立った途端に、今まで味わったことのない空気感に戸惑った。
そこからバスに乗って天津に運ばれた私は、
簡単なオリエンテーションを受けて中国語の環境にいきなり放り込まれることになった。
語学学校の授業に混じって、何を言ってるか全く聞き取れないけれどとにかく寝ないように頑張ってノートを取ったりして。
正直その授業のことなんて今となっては覚えてないけれど、授業が終わるとあちこち出かけた。
何しろ初めての中国で、みるもの全てが新しくて。
明日は今日より絶対良くなると目を輝かせて自信を持って大量の人間が交錯するこの中国大陸の空気と熱狂にすっかり魅了されてしまっていたのだ。
拙い中国語で大学の売店で消しゴム一つ買うのに苦労しつつも、おおらかな売店のおばさんはなんとか聞き取ってくれて「お前の中国語、悪くねーぞ」なんて言われた日には嬉しくて眠れなかった。
3週間はあっという間に過ぎ去り、やる気がなくて単位を落とした中国語だったのに、帰国する日にはなんとなく帰りたくなくてポロポロ涙が出てきた。
「中国は、まだまだ大きくなれる国です。
中国語を学べばきっとあなたの人生にはたくさんの事件が起きて、だけどそれを乗り越えることがあなたの武器になっていくでしょう。
武器を手に入れたらあなたの人生はあなたが自分で選べるようになる。
生きたい人生を生きるために、中国語を頑張って学んでみてほしいです」
3週間の研修の卒業式に中国の大学の先生のスピーチを日本語の通訳を通して聞いた時、
なんとなく諦めていた自分の人生に熱が戻ってきた気がした。
私の人生は私が選ぶ。
白紙に書いた全部好きじゃない選択肢たちの中から、比較的マシなものを選ぶような癖がついていた。
でもそれは違う。
それじゃダメ。
私の人生は私が選び、決めるもの。
生きたい人生をやっぱり生きてみたい!!!
自分の生きたい人生を見つけたい!
沸々と熱い想いが込み上げてきて、
そこから私の人生がもう一回始まった。
好きなもの、中国と中国語。
それは、私の人生で初めて自分で見つけて自分で心からやってみたいと思うものだった。
そこからは、大学の語学研修センターに駆け込み、中国語の勉強方法を聞いて、長期留学にも行きたいと思いいろんなことを調べて回った。
1ヶ月前、
「なんとか、単位をください〜再履は無理ですう。」
となめくさった相談に来ていた私が、
神妙な面持ちで
「中国語絶対話せるようになりたいです、絶対。」
とやってきたのに中国語の先生はひっくり返っていたけれど、少し嬉しそうに暖かくいろんなことを教えてくれた。
教職は辞めてしまった。
両親は戸惑っていたけれど、頭の中は中国一色だった。
「中国語もいいけれど、もしも就活がうまくいかなかった時のために教職くらい持ってた方が…」
そんな言葉も耳に入らず。
まだ喋れもしない中国語に人生を賭けたいと、
先走った情熱だけ沸騰させていた。
そのまま、いろんな運と縁とタイミングに恵まれて私は山東省で1年間滞在して中国語を学び、
中国語が本当に話せるようになった。
そしてそのまま、勢いに任せて就活に飛び込んで、今私は某メーカーの中国事業部で中国人社員の中で日本人1人で働いている。
結局地元には戻らずに、
上海や香港を飛び回らせてもらって、
大好きな中国語を使って大きな会社の国際事業部の一員として日々奮闘している。
大学時代見につけた中国語はネイティブのビジネスの場に持って行ったら全く通用しなくて。
中国ビジネスは思ったよりシビアで混沌としていて。
中国経済や政治の状態も私が中国と出会った頃とどうにもならないくらいに変わってしまって、、。
ホント、今も笑うしかないような状態だけど、
それでもここからまた這い上がってみたいなあと思って毎日頑張っている。
だって結局中国に魅了されているから。
28歳になっても夢を追いかけて、
毎日ワクワクドキドキして、
大好きな中国や中国語に振り回される日々は最高に幸せで嬉しくて。
私は自分の生きたい人生を生きられている。
284番と書かれて順位表の紙を持って呆然としていた18歳の私に会いたい。
会って言いたい、
「大丈夫だよ」
って、言ってあげたい。
「大丈夫、君は2年後大好きなものに出会える。
すごくすごくワクワクする人生を歩むことになるよ。
君の周りにいる大人の誰もデザインできない、真似できない君だけの人生を君はこれから切り開くことになるんだよ。
だから、負けないでね。そのまま辛くても前に進んだ君のおかげで今の私は結構幸せだよ」
ってね。
狭い狭い大学入学の頃の空。
今の私の空はどこまでも広い。
私はきっとずっと中国語と中国が好きで。
イラッとしたりむかついたり、ちょっと離れたくなったりもしながらも、きっとこれからも離れられなくて振り回されていくんだと思う。
それが284番の10年後。
さて、これから10年後はどうなるんだろう。
また想像もしない未来が待っていてほしいと、
自分の人生に無邪気に期待してしまうアラサー独身女です。