大阪ガチコリア、ガチアジュンマ、ガチあったかさ。
大阪の千日前沿線沿いに住んでいる。
誰がなんと言おうと、大阪で一番面白いのは私の中では千日前線だと思っている。
今里はベトナム人の領土と化していて、
鶴橋はコリアンタウン、
谷町九丁目はラブホ街で、
日本橋は今やニューチャイナタウン
難波はインバウンドに占拠され、もはや日本語は聞こえない。
駅を降りるたびに異国情緒があり、ありのままの人間の本能と欲望とアジアのカオスとほんのちょっとの旅情が詰まった路面図ではピンクの線で表記されるこの、千日前沿線を愛してやまない。
私の主戦場はもっぱら日本橋で、中国人の友達と日本橋で待ち合わせしては中国現地の味を楽しんでみたり、ひとりでふらっと出かけて行って牛肉麺を啜ってみたりしていた。
その日本橋の一角に一つ気になるお店があった。
それが、「ニイハオ」という中華料理店だった。
看板に、「你好 ニイハオ」と書いてあるけど、
私のガチ中華センサーが、
「これは絶対に中国人のセンスじゃない」
と、点滅していた。
2020年にその怪しげな店を見つけてから、いつか入ってみたいと思っていたが、なんだかんだでうだうだと機会を逃し店の前を少し覗き込みながら通り過ぎることを繰り返していた。
店の中から微かに聞こえてくる言葉が、どうやら中国語でもなく日本語でもなく韓国語であること。
貼ってあるメニューにハングルが混じっていること。
これが、私がこの店について2年かけて掴んだ情報であった。
さて、先述のとおり、この店を2020年に発見し3年後の2023年に私は1人の韓国人と知り合った。
180を超える長身に、真っ白な肌に、こだわりのメガネをかけて。
今まで聞いてきたどの国のどの立場の外国人が話す日本語を遥かに凌駕する。
ネイティブ顔負けの日本語を自由自在に操る彼は、映画と麺類大好きな食いしん坊な韓国人。
韓国に全く興味がない私に、
その日本語と魅力的な韓国映画を武器に新しい世界を教えてくれた。
女性におすすめするには少しピントがズレた、
容赦ない血飛沫飛び散る韓国ノワールや、
暗殺やスパイを題材にして複雑な人間関係や策略を理解してついていった果てにやっと感動できる映画なんかを持ってきては、熱心に解説しながら見せてくれた。
ソウル、釜山、kpop
しか知らなかった私に、
韓国がどんな歴史を辿って今の韓国になっていったのかを、映画や音楽や本やあの手この手で一生懸命説明してくれるのが本当に楽しみになった。
彼のお気に入りの映画のジャンルは、
韓国の民主化を中心とした近現代史をテーマにした映画で、確かに良作が多く傑作は数知れず。
私もすっかり夢中になったけど、
彼が自国の歴史を熱く語る横で、
私は彼ではなく、画面の中のおっさんたちが食べる料理に熱い視線を向けていた。
真っ黒なねっとりした液体がひたひたになったどんぶりにサランラップがビッチリと張られた状態で映画の中のおっさんたちの元に届くその食べ物。
おっさんたちが歯から唇から口の周りまで真っ黒にする勢いでものすごく豪快に口を開けて爆速で口に運ぶその料理の名前を彼が、
「あれはジャジャン麺だよ!」
と言った途端に、びっくりした。
だって私にとってのジャージャー麺は、
北京で食べたこういう感じのジャージャー麺だったから。
よく伸びる肉味噌を少しだけ入れてぐちゃぐちゃにする老北京炸酱面。
それは、こんなベッタリと黒いソースが溢れんばかりに最初からかかっていたものとはべつものだった。
それに、彼はジャージャー麺ではなくて、
ジャジャン麺とか言ってた。
うーん。
食べてみたいなあジャジャン麺。
こうして、頭の中を映画の刑事のおっさんたちが地面に座り込んで膝を注いでかきこんでいた、ジャジャン麺なるものに支配された私は、
大阪 ジャジャン麺 韓国
と検索をしたところ、出てきたお店があの
「你好 ニイハオ」
だったのである。
もうこれは運命である。
千日前線在住の私は、土曜の朝っぱらから御堂筋線の果てに住んでる彼を叩き起こし、いそいそとランチタイムに日本橋のニーハオに繰り出したのであった。
今にして思えば、土曜の昼間っから「ニイハオに行くぞ!」というわけのわからない電話でよく彼が日本橋まではるばるきてくれたとは思うものの、前日のアルコールと疲れが残っていて死にそうな顔した彼を引きずってニーハオに入った途端に、
彼の顔はゾンビのような死にそうな顔から、
朗らかな薔薇色の頬に変わり、
韓国語飛び交う店内で、
「これは韓式中華だあ!」
と興奮した声を出した。
お客さんは全員韓国人で、厨房でも飛び交う言語は韓国語。
メニューも日韓中と三カ国語表記。
メニューにジャジャン麺の表記を見つけるや否や光の速さで注文した。
黒いタレがどっぷりとかかったジャジャン麺。
「ぐちゃぐちゃに混ぜて食べるのが韓国式ですよ」
と言われたので、戸惑いながらもぐちゃぐちゃに混ぜてから、麺をとって口に運ぶと、甘いタレが太めの麺に絡んで想像していた何倍よりも美味しくてびっくりした。
料理を待っている間調べてくれた彼によれば、このお店は在大阪韓国人界隈でも人気のお店らしい。
念願のジャジャン麺を食べれて満足な私の目の前で、カンチャチャン麺というこれまた真っ黒な麺を食べている彼は私が今まで見たことがないくらいに幸せそうな顔をしていた。
「ひっさしぶりに韓式中華を食べたけど、これは本当にやばい。幸せの味がする」
と、言っている彼を見て中国から一時帰国した時に王将の餃子を食べて泣きそうになった自分のことを思い出して勝手に納得した。
確かに、街中華や王将なんかの日式中華って日本にはあるけど日本以外にはまだまだなくて。
でも、確かに懐かしくなる味だけど、異国の地で自分で再現するには火力も食材も技術も手元に揃えるにはハードルが高すぎる。
彼にとって韓式中華とはそういうものだったのだろう。
このニイハオにどハマりした彼は日を置かずに、今度は私を引きずってニイハオに連行し、辛いチャンポンをハフハフと幸せそうに食べて、タンスユクという酢豚まで注文してパクパクも平らげてその食欲で私を圧倒した。
それからは映画に出てきたご飯を食べるためにどこそこに出かけるようになった。
韓国人がやってる韓国料理店に行っても日本語で注文をする彼に、
「どうして、韓国語で話さないの?」
と聞くと、
「うーん、向こうが日本語で話してくるし。
なんかどっちの言葉使えばいいのかよくわかんないんだよね」
と恥ずかしそうに笑っていた。
中国人の友人たちが、中国人がやってる中華料理店につれていってくれる時は、大抵最初から容赦なく中国語で話しまくり、店員さんも当たり前のように日本人相手にでも中国語で通していくのと対照的で、
韓国人の彼と韓国人の店員の間には、
何というか微妙な心理戦があり探り合いの瞬間があって、彼も店員さんも基本的には日本語で。
韓国人の店員さんは千日前沿線という土地柄もあり、日本語がとにかく上手な方が多いので日本語だけで彼と店員さんはお互いが同じ国の人間だと知らぬままに店を出ることもよくあった。
不思議だなあ。
おんなじ国なのに、日本で日本語で話してる。
そんなある日、彼が
「君にコングクスを食べさせたいんだ!」
と、言った。
そしてその数日後、彼がTwitterで見つけてきたお店に行くことになった。
コングクスとは、冷たい豆乳のようなスープに素麺のような麺をぶち込んだ韓国の夏の軽食らしい。
味の想像ができずキョトンとした私にその美味しさを一生懸命言葉で語っていたもののイマイチ伝わらない現状に業を煮やしていた彼は、美味しそうな店を見つけたと張り切って鶴橋にやってきた。
その日は暑くて、偶然にも鶴橋は何だかお祭りをやっていて祭囃子の音が楽しくて、迷路のような商店街を奥へ奥へと進んでいく彼についていくだけでもワクワクした。
そのお店は韓国人のおばちゃんが1人で切り盛りするお店で、なかなかの人気店のようでしばらく店の外で並んで待っていた。
並びながらぼんやりとその店を観察した。
店の中では、鉄の鍋に入った雑穀米で作られたビビンバをぐちゃぐちゃに混ぜながらそこにチヂミを投入して一気にかき込む豪快なおじさんをみて、「なるほど韓国人ってあんなふうにビビンバを食べるのか」と勝手に学んでみたりした。
てか、チヂミをビビンバに入れるって炭水化物×炭水化物じゃないか。
おかしくないか?
と思い、彼にその旨を話したところ
「お好み焼きをおかずにご飯食べる街に住んでて今更何言ってんだ」
と完全な論破をされて終わった。
お店に大量の食器を返しにくる同じく韓国人のおばちゃんたちは、きっとこの辺りで働いている人なのだろうか。
おばちゃんは食器を返しにきた人に見向きもしないで、
「そこに置いててくれー」
とこれもまた韓国語で言っていて、その気の使わない慣れきったやりとりに、なんだかこの街に溶け込んでいるお店なんだろうなあと思った。
いざお店に入るとお客さんは韓国人しかいなくて、店員のおばちゃんも日本語がほとんどできなくて。
そして、彼はこの日ついに韓国語を解禁した。
その瞬間のおばちゃんの顔を、私は多分ずーっと覚えてると思う。
私と日本語でベラベラ話していた彼のことを日本人と思っていたのだろうか。
彼に韓国語で話しかけられたおばちゃんは少しの間びっくりした顔をして、その後イタズラを見つけたお母さんのように、
「お、お前韓国人だったのかー」
と言って、その瞬間に何かの膜というか壁というかおばちゃんの心のバリアのようなものが消え去って、おばちゃんの顔に優しい優しい笑顔が浮かんだ。
彼が熱弁していたコングクスは本当に優しい味がして、冷たさが夏の日差しのせいで芯からほてった体に沁みた。
優しい胡麻の味が何だか懐かしくて食べたことない料理なのに、食べたことがあるような気がした。
「これが大阪で食べれるなんて!」
と彼が注文した胡麻豆腐のような藤木な食べ物は、何とどんぐりでできてるらしく「ムク」と言う名前だと教えてもらった。
ほんのりした苦味と香ばしさとプルルンとした歯触りとエゴマの葉っぱの香りが何ともいえなくマッチしていて初めての味だけどとても美味しかった。
食べ終わって、ふっと一息ついた私たちのところにおばちゃんが近づいてきて彼とあれこれ話していた。
私の方を見て何かを言ったので、私がキョトンとしていると彼が少し笑いながらおばちゃんに何か言った。
韓国語が全くわからない私には何を話してるのかはわからないけど、
内容がわからないからおばちゃんがどれだけ優しい顔で彼に話しているのかをすごく感じ取ることができた。
「あのね、蒼子さんは韓国語できるのか?って聞いてきたから、まだできないよって言ったんだ」
私を置いていかないように通訳してくれた彼の言葉が終わるのを待っていたかのように、おばちゃんは
「あんた、彼女にもちゃんと韓国語を教えなさい!」
と、韓国語で彼に言い放った。
彼の方もやっぱり何だか、ギアが抜けたようにまるで自分の家族に言うように
「はいはい」
と気楽な感じで笑っていた。
お会計をしてお店を出る時に、私に向けておばちゃんがまた何か言った。
「次来る時までに韓国語勉強しとくんだよ」
っていってたよ。
と言われて私も何だか笑ってしまった。
それから、なんだか彼は吹っ切れたようで韓国料理店にいく時は韓国語を使うようになった。
彼が韓国語を使うたびに、
料理店のおばちゃんたちの顔が変わる。
単に慈愛に満ちたとか、そう言う顔じゃなくて。
「うちの国の若い子が来た以上、満腹にして帰してあげなければ」
という信念すら感じる。
島之内のとある韓国家庭料理のお店に行った時には、何も言ってないのにお茶碗にもれるだけ。
漫画みたいな大盛りご飯を彼の茶碗に装った後、
炊飯器にたくさんの米を追加して、
「欲しかったらここから取るんだぞ?」
と言った。
「実家とかおばあちゃんが作ってくれた、
韓国で食べる家庭料理ってこんな感じなんだよ!」
と言って歓喜し、目の前にあるご馳走を食べるのに夢中で私の存在すら忘れて無言で食べる彼のことを、おばちゃんがどんな優しい目で見守っているのかを彼は気が付かない。
結局彼はこの日大盛り3杯のご飯を平らげた。
いつもお店から帰る時は、しつこいくらいに
「また来るんだぞ!」
と、言ってもらっている彼をみて何だか自分までほっこりした気分で少しだけ泣きそうになる。
千日前沿線に生きてきたおばちゃんたちは、
一体どんなふうに日本で暮らしてきたのだろう。
人生の喜怒哀楽をやかましくも隅々まで味わい尽くしたおばちゃんたちが、
どんな思い出異国で生きる同胞の彼に大盛りのご飯を盛り付けてくれたんだろうって考えたらその思いは言葉にするのは難しいけど、あまりにも暖かい。
激務でなかなか韓国には行けないけれど、
こんなふうに大阪の片隅で韓国のかけらを丁寧に集めて胸の中にしまいながら、舌の上で味わう。
そんな毎日を愛してやまない。
そして、私はコングクスの店のおばちゃんの言う通り、
ちょこちょこと韓国語を勉強している。
だって、また食べに行きたいからね。
同胞の若者に対する果てしなき韓国のおばちゃんたちの温もり溢れた眼差しと、それがそこにあることも気がつかないように、それをそこにある当たり前の酸素とように受け止めてる彼の姿に、韓国の言葉にできない良さと言うか、人を夢中にさせる空気と匂いを覗き見した気持ちになる。
いつか、韓国に行ってみたいな。
その時は、自分の言葉で話したい。
そんな、8月。まだまだ暑い夏の終わり。
さて今週末は何を食べにいこうかな。
ちなみに彼はこの記事にも登場してます。
よかったら読んでやってください。