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読書日記 2023/12/30

 12月はこの3冊をぐるぐる読んでいました。

 ぐるぐる回っていたのは、現状と各書・各紙から想起するものが呼応して響き合っていて、行ったり来たりが必要だったのでした。この中で新刊ではないのは「現代美術史」なのですが、主に第二次世界大戦後〜現代(2019年刊行)の現代美術というものを「芸術と社会」という視点で、各章ごとに年表を付記し社会に起きたことやその起因となる史実と重ねながらトレースしていくというもの。なので「入門」でも「解説」でもなく「史」なのですね。

 そこで本書では「芸術と社会」というテーマを設け、それに沿って現代美術の歴史を追っていきます。「芸術」と「社会」という二つの独立した領域を想定しているわけではありません。人やものが集まり、複雑に関係し合うことで社会が生まれます。歴史的に、芸術もその一角を担ってきました。

山本浩貴著「現代美術史」はじめに、より。

 この著者の山本浩貴先生はゆさカルにも寄稿しているのですが、そこでは「現代美術」(ゆさカルの方では「現代アート」)について以下のように書かれています。

 鑑賞者が現代アートの作品を見て、「難しい」「わかりにくい」と感じることは、ある意味では自然なことであるといえる。なぜならば、その制作者は私たちの「常識」や固定観念に挑戦しようとしているからだ。むしろ、現代アート作品をすんなりと「わかった」と思い込んでしまう方が危うい。そのような時、私たちは「作者が作品に込めた問いやメッセージを本当に理解できているだろうか」とみずからに問いかけてみる必要がある。

稲垣健志編著「ゆさぶるカルチュラル・スタディーズ」11章
山本浩貴著「人と歴史をつなげる現代アート 現代在日コリアン美術を例に」93頁

 「わかった」は、かなり罠であるなと思うことの多い昨今、この情報過多で激流のドブ川と化した社会で涼しい顔をして過ごすためには安易な「わかった」が重宝される。わかったフリをしなくてもいいし、わからないことから問いも生まれるのに、間違いフォビアも蔓延して余計に安易なわかったに走ってしまう。そこを「現代美術」というカルチャーから解きほぐして学び直させてくれる教科書といった感じで、その時代、時代に起きたムーブメントについても、作者の意見も表明しつつ批判的意見もちゃんと書かれていて、簡単に「わかった」に陥らず、「なんでなんで」と読み進むことが出来てとても良かったです。あと、既に知っている史実であっても「現代美術」という視点で見ると自分の理解にまた上書きされることや気付くこともあって、そういえばカルチュラル・スタディーズというものは「文化ありき」のものであったなと。

 まずは興味を持った、衝撃を受けた文化があって、その文化を「真剣に考えたい」時のためのカルチュラル・スタディーズであるはずです。カルチュラル・スタディーズありきの文化ではなく、文化ありきのカルチュラル・スタディーズなのです。

稲垣健志編著「ゆさぶるカルチュラル・スタディーズ」
稲垣健志「はじめに」より

 前に美術手帖を読んで山本浩貴先生のことを知って、それから目にすることは他の媒体でもあったけれど、ゆさカルのお知らせが出た時にその名が執筆陣にいるのもちょっと驚いたのだけれども(美術の人なのに!みたいな)、本来カルチュラル・スタディーズというものが越境性のある学問だということで腑に落ちたし、読めば他の著者やそれぞれのテーマ含め必然性を感じて納得感もあるのですが、まだまだ自分も思考やイメージに枠を作っちゃってるなーと気付きもしたのでした。
 ゆさカル8章で稲垣先生が取り上げている「ノッティング・ヒル・カーニバル」と、現代美術史の5章「越境する芸術ー戦後ブリティッシュ・ブラック・アート」は呼応するし、同じく稲垣先生の12章で取り上げている「内灘闘争」は美大学生たちがアートを用いて内灘闘争の歴史を自身に引き寄せる試みについて書かれていて、反戦・反基地運動としての文脈で語られてきた内灘闘争とは違う視点が得られるし、「その手があったか!」的な他の運動に応用できそうなヒントもありました。その内灘闘争も現代美術史の方では3章の「ひしめき合う前衛美術ー1960年代〜80年代」付記の関連年表の中に記載があります。その章はこのように始まります。

 1945年の敗戦後、日本はアメリカを中心に構成された連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下に入りました。51年に日本は連合国諸国とサンフランシスコ平和条約を締結し、翌年沖縄を捨て石に独立を回復します。この時期を境に、国外の最新動向を紹介する美術展が立て続けに企画されるようになりました。

山本浩貴著「現代美術史」
第三章「ひしめき合う前衛美術ー1960年代〜80年代」123頁より

 これは行ったり来たりしてしまうでしょう??
ここで、この行ったり来たりに「福音と世界」がなぜ加わるのか、に続いて行きたいと思いますが、力尽きたので続きはまた休み中に書けたら。
(続く)

 (続き)
で、「福音と世界12月号」が、このぐるぐるに入ってくるのですが、それはこの現在進行形で起きているイスラエル国家(政府+国軍)によるガザでのジェノサイドに思いを馳せ、考える中で繋がってきました。
 12月号の特集は「アナーキーな共同体」。

 釜ヶ崎だけではなく、パレスチナの闘争は各地の暴動とつよく結ばれてきた。たとえば、警察廃絶を求めるブラック・ライブズ・マター運動はパレスチナ連帯を表明し続けている。2014年8月9日のマイケル・ブラウン射殺に端を発する大規模な抗議、いわゆるファーガソン蜂起において警察が使用した催涙ガスは、イスラエルがパレスチナで実験したものと同じものであり、そのことを知ったパレスチナの人びとはファーガソン蜂起にいち早く連帯を示した。パレスチナの占領に加担するイスラエル支援企業に対する国際的運動である「BDS」(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)運動は、南アフリカの反アパルトヘイト闘争をモデルにはじめられた。パレスチナのガザと西岸地域、ファーガソン、あるいはミネアポリス、南アフリカ、釜ヶ崎、渋谷、そして各地の暴動の時空間のあいだには、見えにくくされているが、それぞれをつなぐ係留点がたしかに存在している。

福音と世界12月号、特集「アナーキーな共同体」
有住航「石が叫ぶー釜ヶ崎、パレスチナ、暴動の霊性」より

 今般のガザでの惨状は、10月7日から始まったわけではなく、ずっと続いていたものが、10月7日を皮切りに激化したものだと思いますが、イスラエルはいつでも、いままでも、完全にパレスチナを植民地化するつもりでいたことは、植民地主義というものが過去にあって絶えた思想ではなく、今も生き残っていることを突きつけました。そして、それに抗う運動と遠く離れた各地での連帯と呼応も続いてきたのでした。
 また、この間(2023年12月)沖縄で重要なニュースがふたつありました。

 ひとつは、沖縄警察署の警察官による少年への暴行事件の判決が出たこと。この事件の後、沖縄警察署には沢山の人びとが詰めかけ、石を投げ、卵を投げ、警察官の暴力行為に対して抗議を行いました。その模様は「暴動」として全国に報道され、SNSでは詰めかけた人びとを馬鹿にするような言葉も多く流れましたが、言うまでもなく、あの「暴動」がなければ、警察側も捜査に動かず、少年は一方的に暴力を奮われ、失明したまま泣き寝入りすることになっていたでしょう。(ちなみにこの暴動に対しても被害者少年は傷付いていたということにも注意が必要かと思います。)
 よそものの自分がわかったふうなことは言えないのですが、この暴動が大きくなった背景には日頃からの警察への不満、不信用、抑圧があったのではないかと思いました。

  たとえば、ミズーリ州ファーガソン市では、2014年にマイケル・ブラウンが警官に射殺された事件を受けて、司法省が警察への調査を行った。その結果、警官が恣意的に黒人を微罪で検挙し、数百ドルの罰金を科して、それを市の財源としていたことが明らかになった。検挙された黒人の多くは貧困層であり、罰金を支払えず、そのために逮捕令状が出されることが常態化していた。つまり、罰金を払うか、そうでなければ、監獄に収容される危機を強いられるのである。インナーシティは搾取される国内植民地とされ、監獄とは現代における奴隷制そのものであり、その構造を支えるのが警察なのだ。

福音と世界12月号、特集「アナーキーな共同体」
山下壮起「Fuck The Policeーフッドとハッスルの霊性」より

 福音と世界12月号に戻ると、同じ特集の別の寄稿に同じくファーガソンで起きたマイケル・ブラウン射殺事件を引きながら、警察による搾取構造を論じている。ここで行われた司法省の調査というものも、ファーガソン蜂起が無ければ果たして調査まで行ったかと思う。そして、沖縄での事件が「暴走族の検挙中」「暴走してきた者を止めようと」などと当初報じられており(少年は暴走族でも、静止を振り切って暴走したわけでもなかった)、暴走族とみなせば暴力を奮っても良い、という価値観が警察官たちに共有されていたことを思わせ、この寄稿に書かれている恣意的に行われる黒人を微罪で検挙するというものと同じマインドというか差別的な視線が貫いていないか、と思ってしまう。
 そして重要なニュースふたつめ。

 と、ここで充電が切れそうなので、また。
(続く)
※最終更新 2024/01/01
(続き)
上記を書いた後、能登半島の震災を知り急遽母宅に直行して親類に連絡したりしていたのでした(母は新潟県富山寄り出身)。その後は、スナック社会科でもお世話になっているJaewon Kim氏と連絡を取り合ったり、必要そうな情報を拡散したりとしてる間に仕事始めを迎え長く中断してしまった。
しかし、被災地の状況が1週間経っても好転せず、祈るしか出来ない。どうか一人でも多く安全で暖かい場所に。

 さて、昨年末の重要ニュース2つ目の辺野古埋立工事の政府による代執行。このことは沖縄が日本国内において植民地とされたままであるということに他ならないと思いました。これまで幾度ともなく示されてきた県民の意思も、自治体の自治も丸ごと否定するものです。法制以降初めて執行されるとのことです。そりゃそうだろう。よほどのことがない限りあっちゃいけないことだと思いますし、この辺野古埋め立ては「よほどのこと」なのかという疑問が湧きます。そして、今すぐ普天間の危険を除去する、という建前も成り立ちません。
 

…内灘闘争は米軍施設に対する反対運動なのだ。これは決して過去の問題ではなく、多くの米軍基地を抱える「現在」のわれわれの問題である。基地と聞くと多くの人は沖縄を想起するかもしれないが、基地問題は沖縄だけの問題ではない。戦後の日本を規定してきた日米安保や、東アジアの政治経済構造、そういったものが集約されているのが基地なのであって、決して沖縄だけが抱えている問題ではない。基地を沖縄に押し付けた上で、さらに基地問題すらも沖縄に押し付けていいのだろうか。そんなはずはない。だからこそ、内灘闘争を過去の出来事にせず、われわれの問題として引き受けていく必要があるのではないか。

稲垣健志編著「ゆさぶるカルチュラル・スタディーズ」12章
稲垣健志著「文化の『遺産化・財化』に抗う文化実践」104頁

 上記は石川県河北郡内灘町に残るかつての米軍施設「着弾地観測所跡」を我がこととして引き受けていく為に金沢美術工芸大学の教員と大学院生・修了生たちが開催した2度の展覧会と、そこで行われたアートによる実践の紹介を中心に、当時の「内灘闘争」の概要も交え『遺産化』されることで風化してしまうことへ抗う試みについて書かれたものです。
 本当に繋がるよな、と。終わってもいない現在進行系の問題が沖縄県という二重に植民地化された土地にその多くが押し付けられた途端(もしくは関東近県から切り離された途端)、風化が進んでしまう。原発と基地の問題は似てると色んな人が言いますが、その多くは中央に送る電気のために地方に作られる原発と当初は本州内にも多くの敷地を占めていた米軍基地は縮小、返還され、その分沖縄や他の地方に集積していく構図。そして押し付けられた自治体は自治や自立を縛られてしまう。これを植民地と言わずして、と思ってしまう。
 それは図らずも、今回の震災でも垣間見えたのでした(そして、金沢美術工芸大学で教鞭をとっている「ゆさカル」のお二人の先生も、Jaewon Kim氏も皆ご無事でした!)

 中断して話もあっち飛び、こっち飛びになってしまったのですが、この3冊をぐるぐる読んでたことと、現在にも続く問題もパレスチナで起きていることも、繋がっているよ、という話です(3行で終わることだった)。
 これらをどう引き受けていけるか大人各自が真剣に考えないといけないと思っています。ので、この3冊ぐるぐる読みをおすすめします!

とりあえず以上。
※最終更新 2024/01/08

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サトマキ
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