振られてから1ヶ月経ってた

大学1回生の夏から3年近く付き合った彼氏に振られて1ヶ月が経っていた。

色々考えること、考えたことをここに残しておこうと思う。

まず言えるのは、振られたことをズルズルズルズル引きずっている。
振られた瞬間から泣いて泣いて泣きまくっていたけど、振られてから少ししてだんだん実感が湧いてきたのか食欲がほとんどなくなった。
今は少し回復したけど。

大学生になるまで恋人に縁がなかった私にとって初めての彼氏だった。
大好きなつもりだった。

別れたからと言って縁を切ったというわけではなく、連絡を取ったり会ったりしていてそれなりに仲良しだと思うけどやはり頻繁に心がひゅーひゅーする。風が吹いている。

「依存感に耐えられない」「お互い違いすぎる」というのが振られた主な理由だった。

四六時中一緒にいないと無理!というわけでもなく、私の中ではただ大好き、なつもりだったが彼にとってはそれが依存だったらしい。

RADWIMPSの「ラストバージン」に

当たり前の日々などいらないと言う
するといつもの調子で君は語る
あなたの当たり前になりたいと言う
そんな日が来ればいいなと言う

という一節がある。

彼がいることは私の中でほとんど当たり前になっていた。
でも彼は「俺がいることが生活を回す上で前提になってる気がする(から別れたい)」と言った。

そんなに依存していたんだろうか、わたし。

依存と好きの違いがよくわからない。

〇〇くんがいないと死んじゃう〜!とまでなったら依存だろうけどなぁ、、

私は恋人には生活に入り込んで存在が当たり前になってほしい。
日々の飾りではなく、人生に入り込んでほしい。

とは言っても、休学中京都に来るたびに彼のお家に転がり込んでいたのでそれが負担だったというのは、それはそうだろうと思う。
私としては会えない期間が長くならない方がいいだろうと思ったのもあって頻繁に京都に通っていたのだけど、すれ違ってしまった。

「お互い違いすぎる」というのは納得。それを理由に別れたい、というのには納得できないけど。
違いを好いている恋人たちもいるだろう。

ものすごく単純化すると彼は楽観的で(努力して楽観的に生きようとしていて)、私は悲観的だった。こんな病気になって楽観的でいられるわけあるか!とも思うし、私は楽観的になりたいとも思えない。

でも私は彼のあっけらかんとしたところには救われていた。
こうしなきゃいけない、きちんとやらなきゃいけない、という完璧にはできないと言う無能な自覚のある完璧主義な私は「まあまあそんなもんでいいんじゃない笑」というような態度の人でないとやってこれなかったと思う。

まぁ、でも、反対に悲観的な人間から預かる恩恵なんて普通ないよなぁ。
でもね、堕ちるところまで堕ちたときには私みたいな人間が救いになることがあるのではないかと密かに思っているのですよ。


別れてからも会えているのに何が悲しいんだろう、と考えてみた。

悲しいことひとつめ。
病気はどうにもこうにもつらくてつらくてたまらないけど、彼といる時は気が晴れた。
彼がいるから我慢しよう、大丈夫だ、と思えることもあった。
そんな柱が急になくなったこと。

本人がいなくなったわけではないのだから柱がなくなると言うのもおかしな話だけど、やはり友人と恋人との間には大きな壁がある気がする。
私は恋人の方が圧倒的に頼りやすいし、頼っていいと思ってきた。

悲しいことふたつめ。
恋人だった時の距離感が友達の距離感に戻ること。
あの時間はなんだったんだろう。
一度すごくすごく信頼したのに、一体この信頼はどこに持っていけばいいのだろう。

悲しいことみっつめ。
いつか彼は私以外の人と恋をすること。

とりあえずしばらくはもっともっと引きずって、引きずり回して、消してしまいたい。

気晴らしに付き合ってくれる友人たちに感謝。

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