観察のススメ
タイムリーなのがいい
最近、Twitterが面白い。おもしろおかしい、という意味ではなくて、とても興味深い。
思ったことをぱっと書いている、時間をかけて推敲するものでもないから、リアルタイムな、いまの人々の思考や感情をみることができて、面白い。
もちろん、Twitterをしていない人もいる。決して全人類がTwitterを使っているわけでもない。スマホPCを持ち、ネットワークにつながり、開く力があり、余力があり、能力があり、感じ取り、書く時間があるひとたちが投稿する。そして、それを読んだ人がリツイートして広がっていく。
流れてくるツイートが全てのツイートではないし、読めるものもごく一部。
一次ソースに当たることも極めて難しいと思っている。本当に何が起こっているのかわからない(そもそもどうやって確認したらいいのかわからない)。
もちろん、疑い出すときりがない。私たちが直接、現地に赴いて、目と耳、肌感覚で、確認をとれる情報には限りがある。
現在の状況は、確かに異例の状況。他人の行動や発言が自分の生命を脅かす可能性がある状況は、異例ではある。平時であれば、遠くの誰かのつぶやきが、物理的な影響を与えることは限りなく少ないか、ゼロだ。
にもかかわらず、大いに盛り上がるTwitter。非難と正論とその他ちゃかしや面白ネタの渦。
情報交換と情報交歓。そこがTwitterの肝なのだろう。
観察とは?
そこに、参加してしまうのではなく、あえて、観察するのが、なお面白い。
自分の意見や考えをもたず、ただ、観察する。とても遠くから眺めるイメージで、ただ、読む。それに対して、善悪を判断しない。
たとえば、今の時期一人で登山して遭難して迷惑をかけるというニュースが流れると、「なんて奴だ!」とバッシングシェア満載に。
そこですぐには、「ほんとだ!けしからん!」と反応しない。自分自身がそのような反応を手放す。一旦、その気持ちを横に置く。その上で、記事を読み事実を確認する。
「けしからん!」シェアやコメントしている人、やコメント欄で非難をしあっているも含めて、共感はしても、否定もしない、肯定もしない。何が正しいかどうか、ジャッジをしない。
ただ、事実として、そういう感情を持った人たちがいることを知る。
そんな感じで眺めます。
もちろん、「一切関知しない」のも一つのスタンス・考え方です。観てもいいし、観なくてもいい。自由だと思います。なのであえて、と書いています。
見えている世界はごく一部
この見方ができるようになると、心が静まります。そして、目の前にある現実を冷静に観ることができます。
いま、わたしたちがみえている世界、現実として感じとれる世界は、この世界のごく一部のことです。
本当は何が起こっているのか。私たちは認知できません。
聖人になるべき、とか、悟りを開くべき、とか、そんな話でもありません。
やみくもに、これはいい、これは悪いと安易に決めつけること、発言すること、拡散することについて、疑問を抱いています。
自身の正義を振りかざしても、決して事態が前に進まないのは歴史を見ればわかるはずです。アメリカの正義、なるものが端的です。イスラム圏が正しいのか、アメリカが正しいのか。その考えで見ている限り、この問題は永遠に解決しません。
目の前の現実はすべてただしい
起こることは、すべてただしい、そう思っています。それが起こるより前に原因はあります。そして、その原因は必ず、現実化します。
現実化した現実に対する反応は、また、未来の現実の原因となります。すなわち、同じ未来を生み出さないためには、未来を変えるためには、現実に対する反応を変えるしかありません。
観察することは、反応を保留することでもあります。いずれは反応・思考・行動へ移さなくてはならないこともあるでしょうが、即時的に善悪の判断を、一旦保留します。
これは、積極的保留とも言えます。ただ、未来に先延ばしするのではなく、即時判断を保留します。